2023年8月19日土曜日

AIが著作権侵害だというのは、あんときのアレ

 最近、ニューヨークタイムズがOpenAIを知的財産侵害で訴えるかどうか検討しているらしい、ということが話題になりました。あくまで社内弁護士がその検討をしている、という程度のことでニュースにするなるのかいな、と思うけれど、ちょうど同紙は利用規約を更新し、記事の本文や写真、画像のスクレ―ピングを禁止、AIモデルの学習に使うのを禁止したという動きもあり。世の中的には、新聞や出版関係の業界団体が、LLMの台頭に対して、知的財産の侵害だとして快く思っていない意見を表明していたことも。



AIがどうしてこんなにも優秀に仕事ができ、そして今後どう活用されていくか、眉間にしわを寄せながら抗議しているのは文芸などのクリエイティブに携わる人たち。独立系クリエイターは、そんなニューヨークタイムズの動きを支持します、とのコメントがツイッターでも流れてきた。

これをみていて、どうも私は首をかしげたくなった。なぜかというと、思い出したことがある。昨今のAIと著作権の話は、法的な論点は置いておいて、感情的な部分を見る限りには、なんども同じことを繰り返している気がするからだ。

あんときのアレ

最初に頭をよぎったのは、2001年のNew York Times Co. v. Tasiniだ。執筆者の組合が、ニューヨークタイムズや今のProQuest、LexusNexusを相手に著作権侵害で訴え、2001年に判決が下った。紙媒体むけに提供されたフリーランス作家の著作物について、出版社が作家の明示的な許可や報酬なしにそれらの作品を電子データベースに提供することを認められないとして、原告たちが1800万ドルの補償を得た。

その次はやっぱりなんといっても、ハフィントンポストがAOLに買収されたとき、アリアナ・ハフィントンのよしみやらなんやらで報酬なく書いていた執筆者たちが、ふざけんなよ、という気持ちになった時に起こした訴訟。これは退けられAOLが勝った。


うーん。ナイーブかもしれないけど、繰り返している。どうやって富むんでしょう、というテーゼについては、もうおなじみで浸透していると思うけれども、Jaron Laniarが「デジタル小作人」という言葉を使っている。つまりこのクリエイターたち、作家たちは、サイバースペースで小作人。

どうやって富むんでしょう、せっかく頑張ってつくったのに。という気持ちに関しては、一昨年前、画像生成AIのブームの際、わたしが書いていた下記の論考を今回あらためて掘り起こしてみる。

<ここから>
Stable DiffusionやMidjourneyなどのツールを使って、いわゆる「呪文」(AIに出す指示、プロンプトとも呼ばれる)を入力することで誰でも芸術的な画像を生成することができることが話題になった一昨年。米国コロラド州で開催されたコンテストでAIによる画像生成ツールを使って作成したアートがデジタルアート部門で優勝すると、様々な論争が勃発した。例えば、(アメリカレコード協会に長年勤めた)知財コンサルタントの(上のツイートでも紹介)ニール・ターケウィッツ氏は、「アーティストの同意を得ず作品をスクレ―ピングしてAIの学習データに使うのは道義に反する」とStable Diffusionを非難した。

他方、ロックバンド、ナイン・インチ・ネイルズのアートディレクターとして知られるロブ・シェリダン氏は、「AIが学習しているのはスタイルであり、スタイルは著作権保護対象ではない。スタイルを著作権の保護対象にしてしまったら芸術や文化の発展を損なう」と冷静な見解を語っている。

AIが生成する画像はアーティストにとって脅威か

AIが画像をいとも簡単に生成できるなら、アーティストの仕事を奪うのではないか。AIアートの著作権については、法律家に任せるとして、残りについて検討したい。くだらない仕事は自動化し、なるべく働かなくていいようになってほしいと切に願う一方で、文芸のような芸術領域にまでAIの影響が及ぶとしたら、自分の生業がどうなるか心配にもなろう。テクノロジーがこれからの社会に与える影響力について探求するポッドキャストの司会者リジー・オレアリー氏は番組のなかで「人間と違って、AIには有給休暇も、労災保険も与える必要がない。」とAIアートの優位性について危惧を示した。

コンテストで受賞したAI作品を提出したジェイソン氏は、何百回以上作品を練り直し、生成された絵に、さらに加工したという。AIに望んだ画像を生成してもらうには、ちょうどいい呪文を唱える必要があり、コツや試行錯誤が必要だ。そこに商機を見出し、呪文を販売するマーケットまで生まれていることを米・技術系メディアのザ・ヴァージは伝えている。アートも、資本主義社会の一部だ。

AIはアートを殺してしまうのか。芸術を媒介するあらゆるメディアの発展史の延長にAIを置いて捉えてみよう。例えばかつて、生演奏によるコンサートを収益源に生業を営んでいた音楽家にとって、レコードの登場は脅威としてとらえられることもあった。しかし、一度生まれた技術は後戻りできない。レコードを始めとする記録媒体の普及は、ミュージシャンにとって新たな収益源となった。他方、媒体が門番となっていて、ミュージシャンはレコードレーベルと契約してデビューしなければ人々に自分の音楽を届けられなかった。そうかと思えば、MP3、バーチャル楽器ソフト等の登場によって、CDの売り上げを軸とした音楽ビジネスは終焉。一方で、実演家がいなくてもソフトウェアを使って音楽製作が叶い、ネットで配信し、SNSでファンとつながる、新しい形態を生んだ。技術の進化でアーティスト活動への参入障壁はどんどん取り外されていく。(ヤッパリ、繰り返してると思うんだよね)

今後、AIの画像生成ツールは、画像編集ソフトの付随機能となって手軽に人々に利用されることになるかもしれない。そうなれば、イラストやデザインに関わる人々の仕事のあり方に変化を及ぼす可能性があり、必要なスキルも変わってくるだろう。しかし、AIはアートの意味を知らない。作品にどのような意味を持たせ、解釈するかは人間にかかっている。

どちら側の立場にしても、いい加減、折り合いの勘所がよくなってきたりしてくれないものだろうか。同じこと何度もやってるんだから。そんなことより、AIすごいとか言っている間に水とか温度とかが大変なことになってるのもよろしくです。