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2024年3月7日木曜日

ヘッジファンドとローカルジャーナリズム

 オーナーシップを確認することは、メディアやそのコンテンツを分析するもっとも端的な方法の一つ。オンラインメディアが浸透し、ネット上の情報にアクセスできるようになったことで、アメリカの地方紙は、紙媒体から電子媒体へのデジタル化しビジネスモデルを転換を迫られた、苦難がともないました。地方紙の経営危機に乗じて、ヘッジファンドが地方紙を買収するケースが2010年代から2020年代にかけて増加。その結果、なにが起きたか。民主主義社会において、地方紙が担う機能は何かといったテーマに着目したドキュメンタリーが公開されています。


経営難で倒産したり買収されたりすることは、ここ10年くらいでいろいろなところでぽつぽつあったのですが、その固有の事象を、一つのトレンドとして俯瞰し、さらにプレスの機能の文脈、つまり現代の情報の流通の倫理の側面から解釈できる良作です。

メディアオーナーシップは、新しい問題ではありません。メディアのオーナーシップと、民主主義の関係を一番声高に政治問題として語っているのは、バーニー・サンダーズ。こちらの出馬時の広報サイトが論点をよくまとめてくれてあります。昔から、バーニーはこの問題意識が強かったことを表す懐かし映像をいくつか↓↓↓

バーモント州チッテンデン郡のコミュニティケーブル放送CCTVで1987年放送の映像で、バーニーサンダーズがメディアオーナーシップについてインタビューしています。
こちらはアビー・ホフマンと。この動画は一時期MotherJonesに掘り出されて一時期話題になりましたね。

出馬時、メディア規制の在り方を一つの争点としてキャンペーンしていたので、オピニオン記事を寄稿して、次のように語っています。
残念ながら、1960年にA.J.リーブリングが書いたように 「報道の自由は、報道機関を所有する者にのみ保証される。そして、報道機関、ラジオ局、テレビ局、書籍出版社、映画会社を所有する人々は、ますます少なくなり、ますます大きな権力を持つようになっている。これはもはや無視できない危機である。

当時は、メディアの寡占と民主主義の情報流通の問題でしたが、今回はヘッジファンドがローカルニュースを買っているという問題で、寡占とは別の問題です。どちらも資本やオーナーシップの問題という点では同じですが。

ヘッジファンドという新しいプレーヤーがアメリカのジャーナリズムに影響を与えていることについて、最近報道が増えてきました。というのも「ヘッジド:民間投資ファンドはいかにしてアメリカの新聞を破壊し、民主主義を弱体化させたか?」という本が出たんですね。


On the Mediaでも紹介されていました。

2021年10月12日火曜日

フェイスブックを叩いてインターネットの自由を狭めたら思うつぼ

 前回の投稿で、フェイスブックの内部告発をきっかけとした、フェイスブックに対する大バッシングについて紹介しました。フェイスブックへの強まる批判とともに、規制強化へ共和党、民主党の両党の議員が強くうなづく、そんな風潮が高まっています。しかし、もしこの規制強化が、通信品位法の230条を改め、プラットフォーム企業に対してユーザの投稿の責任を持たせることとすれば、それはフェイスブックの思うつぼかもしれない、とテクノロジーとインターネットの自由に関するブログTechdirtのMike Masonicは懸念しています

適法に業務を行いながらも、どっちつかずで時代遅れの規制(もしくはそれが無いこと)のせいで、たびたび公聴会に呼ばれたり、多額のロビー費用をかけたり、年中裁判しなければいけないなら、もう、規制法つくってくれよ、その通りにするからさ、とさすがのフェイスブックも思いたいのではないでしょうか。  

 実際に上記動画が表すのは、フェイスブックのがインターネット規制の立法を求める意見広告。実際に今年春の公聴会でもマークザッカーバーグは、230条項の改正賛成を示唆していました。通信品位法の230条によって、プラットフォーム企業はユーザ投稿についての責務を逃れてきました。もし、通信品位法230条の改定でユーザ投稿についてプラットフォームが責任を負うことになるとしたら、一見すると巨大プラットフォーム企業をお仕置きする手立てとなりそうに見えますが、実際には、寡占状態をさらに加速し、参入障壁を高くし、市場のバランスがさらに悪化することが懸念されるのです。

フェイスブックの問題を直すための正解はわかりませんが、いくつかの論点が明らかになってきています。感情的なフェイスブック批判が横行しがちな中、規制強化がかえって悪影響を及ぼすことについても十分に留意が必要です。

特に巨大プラットフォーム企業は、通信品位法で免除されていた責任を、新たに負わなければならなくなったところで、十分な法的対応資源を有し、準拠するよう舵取りをすることができます。しかし、もし新たなプラットフォームサービスをゼロからつくるようなスタートアップにとっては、ユーザ投稿についてまでぬかりなく、新たな事業を展開していくのは非常に障壁が高くなってしまうことが考えられます。

同様の指摘をCory Doctrowもしています今月のACMの雑誌に寄稿し、(フェイスブックのような)巨大テック企業を直すんじゃなくて、インターネットを直すんだという視座から、(そして得意の著作権侵害をリラックスさせることを含みつつ)ユーザ側のコントロールを優位にし、相互運用性を強化する仕組みをつくることを提案しています。
面白いことに、この案だと、改正すべきは、コンピュータ詐欺と濫用に関する法律と、デジタルミレニアム著作権法になります(笑!!)しかも、雑にとらえて種別分けするとしたら、規制緩和ですね。(一方で、併せてACCESS ACT=Augmenting Compatibility and Competition by Enabling Service Switching Act、ざっくりした説明をするなら、データポータビリティを保障する法律かな。。。の立法も支持しているようだし、おおよそEFFの主張とかぶる、というかそもそもEFFの特別顧問みたいな立場でもある)

内部告発に関連するなかででてくる問題解消案の一つの選択肢にビッグテック規制監督官庁の設立があります。

嗚呼、ビッグテック規制(Politicoが行った最近の国際パネルディスカッション)

元FCCのTom Wheelerはかなり前から、対象セクター向けの監督官庁Digital Platform Agency (DPA)を作るべきだと言っています。(前にも紹介したような気がするが、ブルッキングス研究所の寄稿や、あとパブリックナレッジも似たような規制官庁を提言してたので、今回改めてその語気を強めている)

監督官庁が有効かどうかわかりませんが、EFFやCory Doctrowが目指すような相互運用性を現実のものとするためには、その実施を義務付けるような根拠法のようなものがいるのかもしれない(もしくは、それを実施したときに、著作権侵害で訴えられたり買収されて消えたりしないように)ような気がします。ええ、法律の専門家じゃないからわかりませんけど。。この相互運用性は、もしかすると、ちょっとずれ気味だったフランシスフクヤマが過去に仕上げたホワイトペーパーで「ミドルウェア」と呼んでいたものを、実際にはオープンな相互運用性の実装で、担保するというところのような気がします。


巨大テック問題ーでも批判するマスコミも同じ

 フェイスブックの内部告発者が60ミニッツに出演し話題を呼んでいます。フェイスブックは、若い子たちへの有害性を知りながらも調査資料に蓋をし、コンテンツの掲示に関わるアルゴリズムについて利益を追求のために使い続けたことが批判されています。


ちょうど上院での公聴会の最中だったり、欧州が米巨大テック企業への規制を強めていたところという時勢的な状況も重なって、新聞テレビ等のマスコミはフェイスブックを大バッシング。国際的にも問題となっています。フェイスブックが独占的な立場を優位に利用して、ユーザのエンゲージメント(という名の従事時間)を最大化するよう、特に弱い立場にある10代への影響を知りながら、十分な対応をしてこなかったのは、そりゃーいかんだろう。(Timeの表紙はこんなふうになっちゃってる、キツっ)

一方、このメディアからの大バッシングに、冷めた目を向ける人もいます。(一言でいうと、もっとも基本的なU.Y.C.の事例) 落ち着いてみてみましょう。マスコミがフェイスブックを批判しているのは、「利益を最大化して、若者への悪影響を蔑ろにした」からですが、マスコミはその常習犯です。先ほどのTIMEの表紙がわかりやすいですが、今回の報道では、Facebook=ザッカーバーグとして象徴、一般化し、フェイスブックが悪い、というようにことをずいぶんと単純化してしまいがちです。これに対して、ウェブの世界の長老ともいうべきでしょうか(ブログ始めて27年だそう)Dave WinerはFacebookの内在する複雑性を単純化することを批判し、フェイスブックは我々だ、と投稿しています。その投稿の中では

「フェイスブックは言ってみればニューヨークみたいなものだ。もしタバコ会社の本拠地がすべてニューヨークにあったら、ニューヨーク市長が癌の元凶の犯罪者だって言っているようなもんだ。実際にフェイスブックはニューヨークの何百倍も大きいんだから、いろんなことがあるってことを理解してよ」と。

そして「フェイスブックがー」と言うのは焦点が定まらなさ過ぎので、その意味するところをしっかり検討するようにと口を酸っぱくして言っています。

Facebookとは・・・ 
1.マークザッカーバーグのこと
2.パブリックコーポレーションとしてのFB
3.60Kの従業員
4.サーバー、ソフトなどの技術
5. 広告プラットフォーム
6. ユーザコミュニティ
7.ウェブへと接続するもの
8. ビデオや画像、投稿、ライブ配信など、現在過去のあらゆるコンテンツのこと


マスコミのほとんども現在は、トラフィックの大部分やシステムをGAFAに頼っている(ニュースサイト訪問のほとんどはSNSからの流入)わけだし、確かにやっていることの構造はほとんど一緒です。

同様の指摘はこちらにも。

フェイスブックについて人よりもカネを優先する悪いと世間に伝えるなら、プレス(マスコミ)だって、同じことをしちゃいけないはずだ(でもしてる)。クリックベイト記事やとんでも記事でトラフィックを捻出したりしないってこと。

あと、面白かったのはコレ↓。新聞が、フェイスブック閉鎖や解体をに声を強めながら、この論争の最中、フェイスブックのサイトが一時アクセスできなかったことについて、咎める新聞記事に、どっちやねん!と突っ込みをいれている投稿。

新聞記事:「フェイスブックは邪悪!閉鎖すべき」
これも新聞記事:「フェイスブックは6時間落ちてたので、再発防止に努めるべき」(どっちやねん)

「私の言いたいことは、我々プレスが、他者にアカウンタビリティを求めるなら、自分自身についても、より高い水準を保つよう努めなければおかしい。もし、フェイスブックが人々のプライバシーを侵害していると、世間に伝えるならば、我々プレスも、同じように人々のプライバシーを侵害してはならないはず(だが、している) 」

内部告発から、単なるフェイスブック叩きに終始してしまうと、ことの論点を単純化しゆがめてしまい、本来議論すべき事柄や検討すべき選択肢がぼやけてしまうように見えます。

今回は、フェイスブックの内部告発により明らかにされた巨大テックの持つ強いパワーや不均衡について報道するはずのプレス(マスコミ)に対する批評をいくつか紹介しました。フェイスブックの問題をひも解いていくと、実はそれは自然と、インターネット以前の時代に、これまでマスコミが指摘されてきたことといくつかは同じ性質を持っている、ということに気づくと、マスコミ批評がこれまで展開してきた論点や規制のありかた(うまくいってないけど!)を巨大テック企業にも応用することができるというヒントをくれているように思います。

もちろん、編集者によるニュースの選別と、アルゴリズムにより自動化された選別や掲示というのは、背景の仕組みやその規模のインパクトが大きくちがうし、テック周りの法整備が未発達である、テクノロジーの複雑性への理解をほとんどの人は持ち合わせていないことから、巨大テック問題をどう解消すべきか、みんなで落ち着て議論するのがかなり難しい現状にあります。そうすると、今回の一件で、マスコミがフェイスブック叩きに走ることで、なんだか違う、インターネットの自由を侵す方向に走ってしまう可能性もあるということは留意しておかなければいけなさそうです。

次回は、くわしくそれ。

2021年3月19日金曜日

ミドルウェアはテックから民主主義を取り戻すか

珍しく、Foreign Affairsから。フランシス・フクヤマ(The End of Historyの人)や何人かスタンフォードのグループが、寡占テック産業がどのように民主主義の脅威となるか説明する記事を公開した。 

Foreign Affairs ビッグテックが民主主義を脅す

ビッグテックが民主主義を脅かす―― 情報の独占と操作を阻止するには ――フランシス・フクヤマ  スタンフォード大学 フリーマン・スポグリ国際研究所シニアフェロー バラク・リッチマン  デューク大学法科大学院教授、経営学教授 アシシュ・ゴエル  スタンフォード大学教授(経営科学)...

ここ数年英語圏では、テクノロジー企業が様々なコントロールパワーを持っていることへの批判が増大し、「テックラッシュ(techlash)」と呼ばれるテクノロジー企業の台頭へのバックラッシュを意味する造語が生まれた。同時に、巨大な力を持つプラットフォーム企業はGAFAという四文字となって、GAFAに対する批評がIT専門誌だけでなく、AtlanticやSalonなど現代文芸系の媒体で展開されてきた。こういう流れの中で、フランシス・フクヤマのような著名な政治経済学者が、民主主義の脅威という文脈でテクノロジー企業の寡占とその対策について執筆するのは自然だ。

記事の元となったのは、フランシス・フクヤマらによるスタンフォードの「プラットフォーム・スケール」ワーキンググループのホワイトペーパーだ。

Stanford Cyber Policy Center | Report of the Working Group on Platform Scale

The Program on Democracy and the Internet at Stanford University convened a working group in January 2020 to consider the scale, scope, and power exhibited by the digital platforms, study the potential harms they cause, and, if appropriate, recommend remedial policies....

Foreign Affairsの記事では、アメリカが直面する巨大テック企業がいかに民主主義を脅しているか、その脅威に気づいた規制当局がここ数年になって訴訟を起こしていること、こうした規制の強化は、テクノロジーの進化のペースにあまり効果を持たないこと、イノベーションの余地を残そうと解体してもまた同じようなことが起こること、と既存の取り組みの方向性が不十分であることをわかりやすく示している。これについてはその通りだと思う。

そして提案するのが、「ミドルウェア」なのである。
Image: Francis Fukuyama, Barak Richman, Ashish Goel,Roberta R. Katz, A. Douglas Melamed,Marietje Schaake,"REPORTOF THE WORKING GROUPON PLATFORM SCALE", STANFORD UNIVERSITY



雑に説明すると、プラットフォームとユーザの間にミドルウェアをかましましょう、それによってユーザが主体的に意思決定ができる、ないしはミドルウェアは機能として信頼性の高い情報をラベリングする、などというものだそうである。正直申し上げてシステムの絵としてしっくりこないのだが、ひとまず記事の描くミドルウェアを私の解釈に基づいて説明するとすればつぎのようなものがあると考えられる;

①プラットフォーム企業がミドルウェアを提供する。
ミドルウェアが情報に適切なラベル付けをする(例えば未検証情報のラベルをつけるなど)ことで、ユーザはミドルウェアを通じて信頼度の高い情報を入手できる。

②独立したミドルウェア提供会社がミドルウェアサービスを提供する。
ユーザの志向に合わせて、GAFAのコンテンツの上位に表示されるアイテムの重みを変動させるミドルウェアを提供する。例えば、国産のエコな商品だけを上位に表示させるなど。

③学校や非営利機関がミドルウェアを提供する。
地域の教育委員会が地域の出来事に比重を置いた結果を表示させるミドルウェアを提供するなどの例が考えらる。

①~③のいずれのパターンであっても、実現するうえで満たさなければいけない次のような要件があると考えられている。
  • まず、ミドルウェア提供側が技術的な透明性を持たなければならない。
  • またミドルウェア提供側が巨大な力を持つプラットフォーム上の別レイヤーとならないような仕組みが必要である。 
  • また、政策面ではプラットフォーム企業がAPIを提供するように義務付けなければいけない。 
  • さらに、ミドルウェアの健全な市場競争のために、プラットフォームへのアクセスによってミドルウェアにその収益の一部が入るようにしなければならない。(つまり、GAFAの利益をミドルウェアとシェアする)その共益がまともな関係になるよう政府が監督する。
正直、夢物語のように聞こえる。

この記事への反応をみると、テクノロジーによる民主主義への脅威や寡占問題の本質を詳細に定義していると評価するコメントが目立った。一方で、「ミドルウェア」という技術的な解決策については、あまりコメントがなかった。どうしてゆめっ物語のように聞こえるかというと、かつてミドルウェアのようなサービスがあったような気がするんだけど、GAFAにつぶされたんじゃなかったっけ?

その記憶を少したどってみよう。

そうでした、そんなようなサービスありました。
(ミドルウェアではなくサードパーティでしたが)

記憶①FriendFeed(その後Facebookが買収)
いろんなソーシャルメディアのフィードを一度に見れるサービスだった。Facebookに買収されてサービスは停止した。
@akihitoさんのブログの画像をお借りしています

記憶②Power.com

2008年頃にあったブラジル発のソーシャルメディアのアグリゲーションサービス。プラットフォームを跨ってコミュニケーションできるツールだった。が、著作権侵害等でFacebookに訴えられる。Power.com側はFacebookを外したが、裁判中にサービス終了。

記憶③Meebo(Googleが買収)
いろんなプラットフォームを跨いでチャット・メッセージができたが、のちにGoogleが買収してサービス終了


記事は決してサードパーティーサービスを指しているのではなくミドルウェアを指しているので、この記憶というのは直接記事に疑いをかける論点にはならないが、どうもミドルウェア解決案が腑に落ちない・・・。

記事中のミドルウェアは、オープンAPIのことを指しているのだろうか、と読んでいる最中に思った。しかし、ホワイトペーパーのほうにもオープンAPIによる解決策というような視点は出てこない。あくまで、プラットフォームのAPIを使う、なんらかの主体が提供するミドルウェアのようである。

そこに私はますます困惑。そもそもAPIを義務付けるぐらいなら、一層のこと相互運用性とオープンAPIを義務付ければプラットフォーム企業と共益関係を結ぶミドルウェア企業を制御しなくてもいいのでは・・・。

このあたりの理解を悩んでいたところ、TechdirtのMike Masonicが明確な指摘をツイートしていました。

ちょっと、安心。

フランシスフクヤマの指すのミドルウェアとはちょっと違うけれども、ユーザが選択するというような意味あいでは、元FCCのTom Wheelerが支持するOpen APIの形があるのを思い出した。これ聞いたのけっこう前だぞ・・・。

 

How to Monitor Fake News |Opinion NYT Tom Wheeler

This is true. And one effective form of information-sharing would be legally mandated open application programming interfaces for social media platforms. They would help the public identify what is being delivered by social media algorithms, and thus help protect our democracy...


しかし、Tom Wheelerさん、最近では、プラットフォーム規制監督庁(DPA)をつくるのがよい、というようなことも言っているようである。え・・・。


もう少し、テック企業のモノポリーについて、暗くならないように考えてみたいのだけど、いろいろてんこ盛りなので、次回に。

2014年11月26日水曜日

インターネットアンガバナンスフォーラムが言い張りたいこと

外因的なものを使って環境に合わせる,という定義に則れば、私たちはもはやサイボーグと言える、とAmber Caseが TEDでスピーチしたのは2010年のことだった。


いつでもスマートフォンを手放せない我々にとって、インターネットは[『常時接続(always on)状態』だしかし、情報があふれるオンライン環境で昨今話題になることといえば、漏洩、監視、規制・・・。こうした問題山積のインターネットに対し、民主的なてこ入れでWW本来のもたらす自由やオープン性を保とうとするのが、インターネットガバナンスフォーラム(通称IGF)と呼ばれるマルチステークホールダーMSH)式の会議だ。IGFは、インターネットに関わる多様な利害関係者を議論の席に付け、ネット政策に関する国際的な議論をする場所となっているが、誰がその主導権を握るのかという点では、ほかの政治的国際会議と似たような装いを持ちつつある。というのも、インターネットのルールづくり最も関わるドメインを管理するのはアメリカを拠点としている非営利組織のICANNであるからだ。


2014年4月ブラジルで行なわれたNet Mundialでは、さもなければ一極支配的なインターネットガバナンスを分散的にしようと、ブラジル議会は会議開催前に「インターネットのマグナ・カルタ」だと呼び声の高い「Marco Civil」を可決している。


しかし、それでは全然足りない。このままではインターネットが「私たちの欲しいインターネット」(The Web We Want)とは違うという声も広がる最中、2014年9月にトルコで開催されたIGFに対抗するかのように開かれたのが「Internet Ungovernance Forum」である。企業による監視(つまり、アップルやグーグルの製品やサービスが利用者の情報をキャッチし続けるような設計になっていること)に反対し、独自のテクノロジーで利用者の情報をキャッチしないようなモバイル端末の開発を行なうind.ieのAral BalkanはIGF開催中にツイッターでこう話している。「まったく、グーグルのヴィントン・サーフはIGFのセッションにパネルとして何回登場するんだ。インターネットアンガバナンスフォーラムが提案したセッションは全然通してくれなかったのに」


インターネットアンガバナンスフォーラムのIGFに対し、こう書いている
「インターネットの問題のなかで、最も早急に解決されるべき最大の問題はIGFの存在そのものである。マルチステークホールダー主義は、政府と企業体の声を必要以上に大きくしている。こうした状況に対し、市民社会、活動家や一般の人が声をあげることのできるスペースを作るため、イニシアティブをとった」
つまり、本来なら大多数を占めている一般ユーザーの声よりも、政府と企業がとりわけルール作りの主導権を持っているということに憤りを感じているのだ。なんだか聞いたことのある話だと思うのも無理無い。主要8カ国サミット(G8)への反対運動で言われる「G8は世界人口の14パーセント程度なのに、経済的力を背景に、多国籍企業の方を持ち、さらなるグローバリゼーションにより不均衡を世界にもたらしている」という言葉と問題の根源は類似しているようだ。


トルコでこうしたイニシアティブが始まったのには、いくつか背景があると考えられる。世界的にもエドワード・スノーデンの暴露を英雄視するような時代の流れがあったり、WWW25周年を向かえ改めてインターネットのあり方に注目も集まった。また、2013年トルコ反政府デモではツイッターやFacebookを使ったデモの呼びかけに対し、政府が利用制限をするようなケースや、ツイッターでの発言で逮捕者が出るようなケースがあり、ソーシャルメディアが一般的に利用される一方、政府の裁量で情報の自由が滞る事態が発生し、反感を買った。ただでさえ、報道の自由度も低く、報道の自由世界ランキングでは154位(ちなみに日本は2013年53位)という情勢も、インターネットの自由への切望と駆り立てているかもしれない。


しかし、こういった状況はトルコ特有だとは言い切れない。同フォーラムのブックレットには、トルコのインターネットの現状や問題がいくつか挙げられている。その中には、「ネット上のヘイトに関するディスコース」と題した章があり、選挙期間中のデマアカウント、隣国に関係する民族対立をあおるようなコメントがインターネットと政府間両方で悪影響を及ぼしている模様が詳細に記されている。日本も、ネット上の差別発言やヘイトスピーチについては国連の人権委員会で注意喚起を受けている(2010年)から、他人事ではない。ほかにも、「新しいメディアに対するリテラシー教育の欠如」という章もあり、日本の情報リテラシー教育を想起する。トルコと大きく違う点といえば、日本はこうした問題点をひと揃えにして表面化させるような取り組みが無いというところだろうか。


Internet Ungovernance Forumでは「対処すべき分断」として次の3つを課題として取り上げている。
  1. オンラインとオフラインを区切って考えることには限界があり、デジタルな人権を求めるだけでは不十分である。根本的な権利と正義を求める。
  2. インターネットはその他のインフラと関係しており、つまるところ、インターネットは環境活動家にとっての種であり、都市活動家にとっての公共空間と同義である。政府や独占企業に対し、我々の権利を取り戻そうと闘争とともにある。
  3. 技術開発者と、政策決定者の間には分断が存在し、互いに不満を持つことが往々にしてあるが、どっちもどっちだ。単なる制度変更やアプリ開発といった解決主義(solutionism)のいずれでも不十分だ。人民にとってのインターネットをつくるために、何ができるかという問い正すべき。
オンラインとオフラインを区別せず、包括的な権利を求めるというのも、誰もがサイボーグである時代には自然であろう。また、「解決主義」(solutionism)に対す批判については、著書「To Save Everything Click Here」で何でもテクノロジーで解決しようするシリコンバレーに冷ややかな目を向けるEvgeny Morozovも同様に指摘している。脱中心主義的なインターネットを求めるのなら、今は軌道修正の最後のチャンスかもしれない。

ここ数年、IGFで「市民社会の不在」や「誰をもって市民社会というのか」といった懸念が目立ってきた中、草の根の視点での言い分(Internet Ungovernance Forumでに関わった人たちの多くは、もともとIGFにセッションを提案していたのだが、通らなかった)に、耳を貸す必要はありそうだ。

2011年7月3日日曜日

パーソナルデモクラシーフォーラム2011

テクノロジーで変わりつつある民主主義の姿を議論するパーソナルデモクラシーフォーラムが行われていました。オンラインでの生放送をご覧になった方もいるかもしれませんが(そんなかたはwitchbabe23と仲良くしてください)、すべての講演がyoutubeにアップされたので、US時間にあわせて起きていられなかった方はぜひご覧ください!わたしもとてもじゃないけど、部分しか中継みられなかったので、アーカイブスからいいスピーチ、リソースひっぱって勉強するつもりです。

UshahidiとかSwift Riverとか↓

PdF 2011 | danah boyd: Networked privacy





主に上記4つあたりが個人的には絶対おさえておきたいスピーチです。
日本も、こういうフォーラムあるのかなぁ、NTTとかでやってるのかなぁ。