2014年11月30日日曜日

#DL14 デジタル労働関連

インターネットやテクノロジーにより「イノベーションのコストが下がった」というすばらしいストーリーを耳にすることは多い。そうだ、「今だってロゴとかだってさ、ネットで頼んだら5000円とか1万円でやってくれるよね? ルーマニア人とかがさ。」とIT実業家が言ってもへっちゃらなくらいだ。

日本でも、ネットメディアの台頭を称えるかのようにしてHuffington Post日本版が始まり、無料で使える様々なソーシャルメディアツールの活用が重要視されるような機運がここ数年続いているが、内在する無賃労働や富の還元についてはほとんどといって語られていない。

ピンと来ない方のために過去の英語圏の議論を振り返ってみよう。インターネット上でブログやコメントなどを好きで寄稿しているユーザーのコンテンツは、プラットフォームにとっての広告などの歳入に摩り替わり、そこにユーザーへが寄与した対価が戻る仕組みはない。こうした無賃のものから、クラウドソースなどインターネットを通じて生まれたデジタルな労働について「デジタル労働」と総称される。Huffington Postへの批判は、ご存知の方も多いと思うが、アリアナハフィントンのハフィントンポスト創設の意思に個人的に応援したいと思った人たちが、ブログ記事を寄稿しそのコンテンツのおかげである日彼女のサイトはAOLに買収されることになるわけだが、労働運動家のジョナサン・タシニ氏は自身を含む、9000人ものハフポブロガーは買収額の三分の一である1億500万ドルの分け前の支払いを受けるべきだとしてして2011年4月に訴えを起こしている。この訴えは退かれてしまったが、物書きやブロガーにとって善意でのデジタルな寄稿への対価を考える大きなきかっけになっている。

ブログに限らず、もっと細かな単位でのユーザーが送信しているビットも、ちりつもでプラットフォームの広告収入に取って代わる。FacebookやTwitterといった無料で使えるサービスの裏には、個人情報やユーザーコンテンツがマーケティング目的に利用されることでサービス事業者が巨額の富を得られるようになっている。

最近のFacebookの利用規約の変更を受け、英語圏を中心に私はすべてのコンテンツについてFacebookが利用することを禁ず」といった旨のコメントをウォールに投稿しているのを見たことがあるかもしれません。この行為は無意味で、ユーザーはFacebook登録時にすべての知的財産権がFacebookにあることに同意しているのだけれども、具体的に読むと本当に残念な内容になっている。ツイッターも効果的な広告のターゲティングのために、インストールされているアプリをトラッキングするようになった。(これは設定で変えられる

前置きが長くなってしまったが、あなたの送信しているデータがプラットフォームの広告収入になるなど、インターネットを通じて変化している情報の流れが、新たな財を生んでいること、労働市場や労働環境が変化しているを踏まえた労働論というのが昨今必要とされているのだ。

11月14日から16日までNew Schoolで開かれたデジタル労働のカンファレンスでは、シェアリングエコノミーと新たな労働環境について精力的に紐解いています。

Sara Horowitz on the Freelance Economy I The New School

Digital Labor 2014(#DL14)の講演はここ

Algorithmic Hegemony & the Droning of Labor | Digital Labor: Sweatshops, Picket Lines, Barricades

 

デジタルな労働について本気で調べようと思うと、鉄道ができたころの労働組合とか、産業革命、工場労働の後に勝ち取られた8時間労働といった、労働運動の基礎のところもカバーして理解していかなければいけないので知識としてかなり膨大になってくる、これはさすがに自分の領域じゃないなというのがあって、しかもそこに、ネットワーク後の働き方がどうなってきているかという理解を重ねていかなければいけないので、自分の主たるテーマとして捉えたり扱ったりするには無理があるなあ、と自覚しています。ただデジタルな社会のトピックの一つとしてその系譜とか現状の議論とかはさすがにちゃんと知っておきたいものだと思います。日本語圏では学問として労働を扱う人たちのなかでデジタルな労働について目を向けているものはわたしの探し方がわるいかもしれないけど見当たらないので、今後もすぐにだれかその道の人が強化してくれるとは思えないから、ちょっとずつ自分なりに地道に蓄えていこうと思っています。

副業を持たないとやっていけない、というようなライフスタイルは2000年代半ばのアメリカではすでに意識されるようになっていて、(たとえば当時話題になったウェブ動画「Story of Stuff」のなかでは持続可能性という視点から消費と仕事を掛け持ちすることについて触れている)、フリーランスユニオンみたいなのができていったり、学問としての労働運動が強いドイツなどをはじめヨーロッパでAmazonのメカニカルタークが批判されるようになり、さらにすすんでSharing Economyにおける労働とは言い難い新しい形の労働をどう捉えていくか、議論がさかんいなっていったという印象がある。だからデジタルな労働についての議論をちゃんと扱っているのはアメリカ、ドイツのまだまだごく一部ではあって日本もこれから、だと信じたい。

労働史的なところと、Web2.0とを併せてちゃんと紐解いている総論的な資料としてはダナ・ボイドら執筆のUnderstanding Fair Labor Practices in a Networked Ageが先月でていて、とても参考になる。

※この投稿は2014年11月に書きかけで保存したままだったものを2017年に下書きから公開に設定変更しました。

0 件のコメント:

コメントを投稿