2026年10月20日火曜日

何もかもが漏れる、懐かしい未来

 皮肉とは、近代の合理化を求める期待のなかで、価値規範を解体させていくプロセスであり、同時にその表れは社会病理の一つである、との解釈がある。そんな皮肉めいた動画がTikTokやインスタでバズっている。

日本では、このところAIの進展に伴って、以前からいい加減だったセキュリティループホールをまんまとやられる系の、情報漏洩のインシデントが後を絶たない。そんなときに目にしたショート動画がこれ。

ドルチェ&ガッバーナのドレスを身にまとった女性がフロッピーディスクを手に「もしもすべてが漏れてしまうなら・・・どうしたらいい?」との問いかけで始まるこの動画はインスタで1万回以上再投稿されている。背景に映るガジェットは、箱型のパーソナルコンピューターなど、90年代か2000年になるかならないかくらいの時代設定だが、呼びかけは2026年の現実と対峙している。「情報漏洩になる前に今から準備して」と呼びかけ、「チャットGPTを使う時は、法廷で真実の誓約を述べたつもりになって」「送信したメッセージの履歴が全部嫁に読まれるって前提で書くの」など皮肉たっぷり。そして、現代のデータ社会を揶揄しこう言う「まるで小学生のときに書いた日記を、クラスメイト読まれてしまい、恥ずかしい思いをしたことがあるでしょ?それと同じことが日常的に起きるの。当時と違いがあるとすれば、それを読むのは初恋の相手ではなくサム・オルトマンだってこと」。続けて、「プライバシーを失ったと気づくのは違うわ。そんなもの最初からなかったのよ」

90年代~2000年までの時代背景をモチーフにしてAI時代を批評する動画として最初にバズったのは、Ari Kuschnirによる動画「オープン・リビング」だ。

AIデータセンターの建設ラッシュ反対運動が世界的に高まる中、8月に公開されたこの動画は、オープンAIのサムアルトマンの構想する生活空間「オープンリビング」という偽のコンセプトを紹介するインフォマーシャルとして設定されている。もちろん、動画はAIを使って作ったもので、実際の人物やサービスでは無い。

個人データがエネルギー源となって、バーチャルリアリティやヘッドセットによって不自由なく暮らせる循環型エネルギーの未来を描いたものだが、時代背景やサム・オルトマンの年齢も、20年以上遡り、当時の安っぽいテレビ広告のような作りがかわいらしい。
インフォマーシャルらしく、オープンリビングに居住する老夫婦がこう個人の感想を述べる。「何かを欲しくなる前にそれが用意されるから、もう二度と何も欲しがらなくていいんです」

仕事やものづくり、クリエイティビティ、教育といったAIにより影響を受ける様々な領域が、オープンリビングでどのようになっているか、居住者のコメントが例示され面白い。もちろんすべて皮肉である。動画のなかでサム・オルトマンのAIアバターは、「何が素晴らしいかって?何一つ、住んでいる人は所有しないこと」と言う。
このコメントは、ちょうど2000年、ニューヨークでデータを収集しパノプティコンのような暮らしを実験したIT起業家ジョッシュ・ハリスの発言と交差する。


実際に、オープンリビングの動画制作者はFast Companyのインタビューで、ジョッシュハリスを追った映画「We Live in Public」(邦題:公開生活24時)へのオマージュだとコメントしている。

今年9月に入ると、世界的に、AIの進展は人類の存亡にかかわる危機だとして、AI開発企業のリーダーたちが協調して開発を遅らせるとか、政府に規制をつくってもらう、とかそういった類のニュースが世間を騒がせた。そのうちに教会と対話し始めたりしてもうオカルトさながらの世界に見える。AGI開発企業が自ら手を休めず、第三者に要請するなんてはたから見れば、正直あほらしい。しかしこのあほらしい騒ぎとて、人類の存亡に関わるというのだからAGI開発企業の億万長者が「まずは教皇と話をつけさせてもらわなければ困る」と言われたら、どうぞ、そうしてください、知らんけど。という感じになろう。

AGIによる人類存亡論については、The AI Docというドキュメンタリーが全般的な議論をうまくまとめているので是非見てほしい。(まだ日本語版はない)


ただ、騙されないで頂きたい。人類存亡の危機、と騒ぎ立てる背景にあるのは、11月に控えているアンソロピック社のIPOだ。Timit Gebruや、Astra Taylor、Naomi Kleinらは、人類の存亡に関わるほど知性に優れ、影響力の高い、高精度の技術だというある種の誇大広告に他ならないと批判を強めている。10月1日のインタビューによいてGebruは、人類存続の危機という抽象的な誇大広告によって、AIが現時点でもたらしている様々な実際の危害から目をそむけさせてしまっていることを問題視した。

Naomi KleinとAstra Taylorは「終末論ファシズム」を概念化し、ちょうどその本が出たところ。(日本語ではここで解説してくれてあるよ) 今週末イメージフォーラムで公開になるNAZAと合わせて検討するのにちょうどよく、より大きな趨勢として捉える必要がある。 

そんな中、今日はNY市長のゾーラン・クワメ・マムダニ氏が、AI Now Instituteが主催したイベントに登壇(会場はイーストビレッジのウェブスターホール)初等教育でAIの利用を一年間ストップするモラトリアムを導入した経緯などを短く語った。イベントの模様はYoutube Liveで配信され、リナ・カーン、Karen Haoらも登壇している。ラッパーのKota the Friendも出ていてNYっぽい。


AI Now Instituteは、Kate CrawfordとMeredith Whittakerの二人によってNYU(ニューヨーク大学、私学)に設置されており、2018年にAIの説明責任を求めるための評価フレームワークなどを作ったりしていて、AI批評では老舗。(NYのグリニッジヴィレッジのあたりにあってお洒落)。

今回のイベントは、The People’s Assemblyと題していて、ニューヨークの批判理論とアクティビズムの土壌を感じさせる。Peopleというのは民衆と訳して解釈すれば良いし(例:ハワード・ジンのA People's History of the United States)そのあとにつづく集合体を意味するAssemblyは、オキュパイ運動当時の行為体New York City General Assembly (NYCGA)を彷彿とさせる。(もちろん、相手がマシンであるところの構成であったり、分散を指向し、ドゥールズ、ガタリのAssemblageも)

イベントの最後は、
カレン・ハオがモデレーターとなって、ナオミクラインと Arundhati Royが話す、その演題も「「Another World is Possible(もう一つの世界は可能だ)」。

そういうことで、いつまでたってもおなじことを繰り返してる気もすごくする、という点において、新しさと懐かしさを、行き交いながら、どういう趨勢か、意識しておきたい。


 

2026年7月13日月曜日

汝、盗む勿れ~Yung Miami考

 

Yung MiamiのSpend Datという曲がすごくヒットし、論争を巻き起こしている。この歌のサビで繰り返される主題は、「(汚い方法で手に入れた)あぶく銭をさっさと使っちまいな」である。原語では、"Where all my scamming ass ni**as at, spending dat money fast"と、詐欺などを働いて金を稼ぐような男たちに対する言及から始まり、続けて、かばんに商品を詰めてはスリを働く女たちにも言及。「そういった悪銭は、いまのうちに使っちまいな、あんたらも精一杯やってんでしょ、わかってんよ。」というメッセージを掲げている。

あまりにもこの歌が流行り、子供たちも暗唱し始め、ノリノリで親子で歌ってる様子がインスタグラム等で散見されるように。犯罪を助長し、ストリップクラブで大金をばらまくような風潮を支持する曲だとして、批判が勃発。しばらくしてネオ・ソウルの大御所歌手インディア・アリーもSNS上で批判に同調。あたかもインディア・アリーが同曲のボイコットを呼びかけたかのような風評が及んだため、インディア・アリーは自身の批判の意図を解説する動画を投稿した。その動画では、「音楽や言葉には周波数ってものがあって、人に影響を及ぼす。若い人や次世代のことを考えたら、アーティストも聞く人も、どんな選択をすべきかわかるはず」という主旨を発言。

このあと、マイアミの同郷で2000年代にヒットを飛ばしたTrick Daddyが論争に参戦し、さらには、同じく同郷で、2026年下院議員選挙への出馬を表明している2 Live Crewのアンクル・ルースまでこの論争に参戦。インディア・アリーとは打って変わって、もともと不真面目な歌詞を歌ってきた同郷勢は、いずれもヤング・マイアミを擁護。だって、全部健全な音楽ばっかりだったら、つまんないもんね。

ながらくゴシップの概況をお届けしましたが、この論争には様々な根深いテーマが埋め込まれている。

1.繰り返される歴史

一つは、ヒップホップが抱える問題として何十年にもわたってなされてきた批評と同じであるという点。かつてYung Miamiが元カレで性犯罪に問われていたDiddyを擁護したことをインディア・アリーが今さら持ちこんだこともこの論争の元凶のひとつで、おおざっぱにとらえると、今回のSpend Dat批判というのは、「最近のラップは、成金主義で、犯罪を助長し、女を蔑んで性犯罪を擁護していてけしからん。こうした風潮はボイコットすべきだ」というメッセージに収斂される。論争の展開される場がもっぱらSNS(Threadやポッドキャスト、Youtube)を舞台にしたものであることを除けば、同様のラップ批判は何度も繰り返されてきた。少し歴史を振り返ろう。

2007年にも、"最近のラップは、成金主義で、犯罪を助長し、女を蔑んで性犯罪を擁護している"問題について、アメリカ議会で公聴会が開かれ、多くの関係者が証言。

さらに20年さかのぼって1996年のドロレス・タッカー女史のコメントを見てみよう。

「もし今キング牧師がいたなら、黒人女性を『ビッチ』と呼ぶラッパーたちについて、何と言うでしょうか。ギャングや麻薬密売人、レイプ犯を美化するラッパーたちについては、何と言うでしょうか。そのような人々が、ゲットーで暮らす幼い子どもたちにとって、いったいどのような手本になるというのでしょうか。」

ロサンゼルスタイムズ、1996年3月20日「Anti-rap crusader under fire」

 インディア・アリーのYung Miami批判は、上記と同等のものだというのをわかっていただけるのではなかろうか。 

これらの批判に対して、ラッパーたちの意見は、おおまかにつぎのようなものに分かれる。

  • ラップはゲットーのリアリティを反映したものだ(写し鏡なのだから、ラップが犯罪や女性蔑視を助長しているわけではない)
  • 生業として、稼ぎのために音楽を作っている(CDを購入しているのは白人である)
  • 真に受けないでほしい(建前で、犯罪や暴力を歌っているのであって、ほんとにそんなことするわけないだろう、そのくらい聞くほうもわかるでしょ)

2.詐欺師は誰か

 おさらいが長くなってしまったが、この投稿の主題は、「盗み」である。この曲がチャートに上り詰めていくのと同時期に、「I Love Boosters」という映画が公開されており、Yung Miamiは、プライベートの上映会を開催。主演のKeke Palmerに、Spend Datはこの映画の裏テーマ曲だよ、とお墨付きをもらっている。


映画を手掛けたのはThe CoupのBoots Riley。もとになったのは同名の曲だ。

当時(20年前)この曲を聴いていた身からすると、同じ人物がデミ・ムーアの演技を監督するだなんて想像を絶する。映画本編を観ることができていないので、どんな内容かなぁ。ファッション産業の構造的な問題、その中の盗みや不均衡などが描かれているだろうことは想像されるが、アジェンダを売っているというより、クリエティブの面でもかなり評価を受けていて(例えば、レンズを加工して独特の世界観を演出するなど)映画館で見て楽しい!とう作品だそうだ。ただ、あいかわらずBoots Rileyは、革命おこすぜ、みたいなことを本気で言っていて、SNLとかに出演しても、組合の話とかしてぶっ飛んでんな。

ファッションといってもピンと来ないかもしれないが、例えば今年はファッション業界の一大イベントMet GalaのスポンサーであるアマゾンのJeff Bezosに対し、活動家たちがプロジェクションで抗議した件も話題だった。


 「汝、盗む勿れ」というのは、ユダヤ/キリスト教の経典の言葉だが、盗みについて、言及した東洋の文献として、荘子の言葉「盗亦有道」あたりを参照したい。(※きちんと荘子を読んでいるわけではなくクリップ記事程度の見解です。本来なら、孔子謂柳下季曰:「夫為人父者,必能詔其子;為人兄者,必能教其弟。のところを参照したほうが話が早いのですが、「知識」への関心から関連するこちらを参照します)


物入れの箱を開けたり,袋を探したり,現金箱を探し回ったりする泥棒への備えとして,紐をかけ,釘や錠前でしっかりと閉じておくことだろう。世間ではこれを才覚と呼ぶ。ところが大泥棒がやってきて,箱や袋もろとも現金箱を肩に背負って運び,走り去ってしまう。彼が恐れるのは紐や鍵でしっかり締め付けられているかどうかということだ。
 だから,世間で才覚と呼ぶことは,わざわざ大泥棒のためにものを貯えてやっていることと同じである。だから私はあえて言おう,世間で才覚と呼ぶものは大泥棒のために貯えることに他ならないではないか,そして,世間で賢い知恵と呼ぶものは大泥棒のための千両箱(貴重な貯え)に他ならないのだと。
<中略>
盗まれた斉国,そして聖人の狡知の体系などというものは,彼ら泥棒の存在を保護するためのものであったのではないか。私はあえて問おう,世間が偉大な英知と評価するものは何であれ大泥棒を助けるためにあったし,世間で聖人の知恵と称するものは何であれ大泥棒のために取っておかれたものではなかったか,と。
<中略>
もし,嵩や体積の計量器が量りに用いられると,量る米が量りごとに盗まれてしまう。重さを量る計量器が量りに用いられると,量る品物が量りもろともに盗まれてしまう。割り符や認め印が信用保証に用いられると,その割り符や認め印もまた盗まれてしまう。もし慈善や義務(仁義)が道徳原則として用いられると,慈善や義務(仁義)もまた盗まれてしまうだろう。
 どうしてそのように言えるのか。曲がったかぎを盗めば自在かぎに使える。王国を盗めば諸侯(小国の君主)となれる。仁義の教えは諸侯の領地に保たれる。そうしてみると,仁義の盗人はまた聖人の知恵の盗人でもある,これが真実ではないか。

Chuang Tzu Chapters, Lin Yutang's Version, Opening Trunks with a Protest Against (Wrong) Civilisation および「開いている箱,あるいは文明への異議申し立て」樺山三郎 日本語訳 

Yung Miamiの曲を聴いていたのに、気づいたら荘子を読まされていてなんだかわからない事態になってきましたが、主旨としては、「聖人も泥棒やん、聖人してても身内守られへんやん」ということだけ受け止めていただければよいかと。私の関心から、話がづれてきてしまいましたが。(別にこのブログで、盗みが良いとか悪いとか、どういうことが盗みだとかいう識別の作業をしたり、道徳を語るつもりはなく、盗みについて語られた様々な見解を寄せ集めるだけです。)

話を元に戻しますが、Yung Miamiは起業家でSpend Datは、Yung Miami LLCの作品です。Boots Rileyは革命とか言ってますが、ものすごく商業的な成功をしています。盗人に同調するような歌詞や映画をつくったからといって本人たちは、万人とはいわないものの、一定層の人たちに認められる形で成功を収めている。アンクル・ルークにアフリカ中心主義者呼ばわりされていますが、そんなインディア・アリーだって、自身の道徳観を主張し、美しい作品を売ってる。なんだかみんな、頑張って稼いでんじゃんっていうところに話が集約されてきてしまったがそういうことだったんだっけ。。。



モラルと職業の話になってきたので、この動画を紹介する。道徳的な大志を抱け、と呼びかける著者のルツガー・ベルクマンさんによれば、エリート大学の卒業者の就職先と言えば、コンサル、法務、ファイナンスの三角魔界でどれも給料はいいが、こういった道徳的にあかん、と。そうではなく、チャレンジが必要な社会課題を解決するようなことに取り組んでほしいと。教育を受けたのなら、稼ぎより、道徳的に正しい道を選べよ、と。

しかし、このインタビューの終盤、ジョン・スチュアートが巧みに、ルツガー氏が何を売っているかを明らかにしていく。要は、著者は、道徳的選択を掲げることで、本を売ったり講演活動をして、さらには、インスティチュートをNYで設立するのだが、終盤「これは学費をとられるやつでしょ!」とジョンが皮肉っているのが見もの。ルツガー氏は、たばこ産業を「悪」とみなし、それに対して戦う取り組みを進めている。

だいぶ遠くなってきましたが、最後にSpend Dat論争について、そんな痴話げんかに着目している場合ではなく、もっと深刻な問題に焦点を当てようと寄せたKeyaira Boone氏の意見を紹介したい。

黒人女性や子どもたちは、本来、彼女たちを保護し生活を支える責任を負うはずの男性たちによって命を奪われている。黒人コミュニティは、その集団としての政治的影響力を弱体化させることを目的とした法案によって、政治的権利を奪われつつある。そして、アルゴリズムが「家主」のような存在となり、懸命に働く人々の住まいの安定を脅かしている。これらの責任は、Yung Miamiではない。


いやあ、 そんなわたしはすっかり、ほとんどゴシップに時間と字間を使いましたがね。ラップ論議が通った道は、デジタル権利に通じることが多い(要は、メタに考えるとコンテンツモデレーションの問題であったり、表現の自由の問題であったり、商業主義の構造的な問題であったりする)からこのブログで取り上げたのです。さらにヒップホップは、善悪や盗み、という概念について、生活ギリギリアウトな視点から見つめなおしたり思考することを手助けしてくれるので、なにか暮らし向きがよくならない不安や疲労に襲われたときに、頭の体操をしてみました。