婚活イベントに参加した人の話を聞く機会があった。およそ絶対に行きたくないようなセッティングで、参加者は各々になぜ結婚したいのか順番に発言させられる機会が与えられたそうだ。そのうち、記憶に残ったものとして、老後ひとりになりたくないから、というコメントがあったそう。何かあった時に、ひとりではこまる、というのは確かにそうだと思う。
既婚者世帯は税制面で圧倒的に優遇されており、これは日本もアメリカも同じだ。しかしながら、独身を選ぶ女性の比率は高まっているらしい。
上記の番組では、メリーランド大学准教授でThe Love Jones Cohort: Single and Living Alone in the Black Middle Classの著者であるDr. Kris Marshが出演し、独身が不当な目に合っていること、その背景にある社会構造を解き明かしてくれる。新しい異性と出会ったり社交が趣味というわけではないのに、いやいや婚活しているなら、そんな無理しなくても、と思っていたところ、なんだか社会構造を見つめ直すことになりまして。
ちょうどNewYorkerに面白い風刺画があったのを見つけた。王子に求婚される白雪姫の絵だ。しかし下にはこう、白雪姫の言葉がある。「あなたがおっしゃっているのは、つまりこういうことですか。横暴な継母の企てから私を救ってくれた仲の良い7人の男友達と芸術コミュニティを作り上げて元気に暮らしているところ、それをわざわざ後にして、今度はあなたひとりのために、またも不条理な力関係の中で無力なおかざりになれと?」
接続詞が足りないかもしれませんが、結婚している場合の税制優遇について考えたときに思い起こすのが、坂口恭平の中学生のためのテストの段取りの一節です。
国は好き勝手に生きられると、税金を巻き上げられないことを知っているわけですね! だから土地の所有者を確定するために法律を作るわけです。この土地は誰々のもの。だから、この人からどれだけの年貢をおさめてもらうと決めるわけです。だから、山の中の洞窟なんかに住まれたら、わけわからなくなるじゃないですか。だから、町みたいなものを作って、その中で生活してもらうことを考えたんですね。適当に暮らすとまずいのは、人々ではなく、国だったわけです。
未婚の人は不安があり、既婚の人は不満があります。どちらも、もっと良くなろうとする―このままではダメだ、から。
既婚女性と話すと、家事や子育て、仕事でいかに不平等な立場に置かれているか、つまりは配偶者への不満として表出しますが、いくつかのものは、どう考えても、社会構造の問題(なにに優先的価値があり、何に対してより一層どのような努力がなされるべきか、何をもってして楽しみや満足と捉えるか、という個人の考えにより強い影響力を与える機構の存在―会社であったりマーケティングされたイメージ―があるから)なのに、ほとんどの場合は夫婦間の問題として、対応されるようです。
一時的に主婦※生活だっときに、もっとよくなること、で書いたのですが、普通に生きているともっと良くなることに囚われます。
毎朝浮かぶ、こうしたらもっと生活が良くなるんじゃないか、というポジティブな着想は、陽が昇るにつれて懸命な思案となり、正午までにはネットでの商品の比較選択になり、午後には疲れと共に不満へと変わり、夕方には完全なるただの不平になっている。
※「主婦」であることについては、WAN(ウィメンズアクションネットワーク)のシンポジウムで、働く女も、主婦への距離が存在する点において主婦という概念から逃れられない、との名台詞をきいたけれど、引用元をしっかりと記憶できずごめんなさい。
Adam CurtisのドキュメンタリーCentury of Selfでは、フロイトからエドワード・バーネイズと、心理学をマーケティングに援用し、個人主義を促進することでアメリカの消費文化を作っていった様子が描かれていますが、その途中で、主婦に処方されるリチウム(鬱に処方される)の話がでてきた記憶(たしか、、)があります。
人それぞれだと思うけど、結婚してもしなくても先行きは不安なのでは…と思っただろうか。なんとそこそこの暮らしをする我々どころか、ちょっと余裕のある人たちや、大金持ちさえ、将来が不安で困っている。だって、カナダの山火事でNYの空も煙く、安全できれいな水や空気が必ずや与えられるものではなくなってきていることを思えばその不安は妥当だろうけれど。
ダグラス・ラシュコフが「Survival of the Richest(邦題:デジタル生存競争)」でも触れているけど、ITで成功した金持ちが、火星に逃げようとしたり、不死を目指したり、と終末論的な視点にあること。それからその手前の富裕層も、どのESG株に投資したらいいのかしらと、良い意図でありながらも、先行きの不安から、個人主義的、後期資本主義的な価値観から逃れられず不安を極め、自分達だけでもなんとか逃れようという、もはや何言ってるんだ、というような馬鹿げたお金のかかる対策をとろうとしていることについてポッドキャストのなかでも何度も触れている。
婚活コンサルタントのブログが面白いのでしょっちゅう読んでしまうのだけど、身だしなみやメイクであったり、ファッションであったり、男女ともにどのような点をもっとよくする必要があるか、よく解説されていることを思い出した途端、アストラ・テイラーがこう来た。
"An advertisement will never say, 'Hey, you're enough, you're great as you are,' right? It's always going to say, 'Gosh, your teeth could be …whiter. That's a very banal example, but it's ubiquitous."
現代の暮らしにおいては、不安は購買意欲創出のための基本的な機能として構造的に作られている、ということ。それから、この不安の解消に当たっては、他と競争して、自分だけが高みに到ることで事故を実現し競争に勝つことが前提になってくる。だって、テストは、みんなで一緒に解くのではなく、自分一人で解くから偏差値が変わるんだ。
そこで再び、もっと良くなることについて思い出してみる。
実際にしたことはないので憶測だけれど、婚活イベントにおいてはその数十人の参加者の中から、自分の価値基準(これも、その数十年にわたって、ディズニーとか、理想の家族を描いた洗剤のCMとかによってmanufactureされた)に見合う、ぐっとくる相手(ぐっとじゃなくって、なんかもうちょっとふさわしい言葉があった気がするんだけどなんっていうんだっけw忘れたw)を見つけなければいけない、数学的にめちゃめや可能性が低い気がするんだけど、ないしはアプリとか相談所とかあるんだろうけど、その成功のために、美容とか身だしなみなど、「自分」に投資し、他者を選別し、もっと良くなろうとすることだろう。まさにWhy Love HurtsでEva Illouzが示している等価値の交換としての市場のなかの恋愛。いや、良くなることはいいと思うんだけど、不安の解消を自分だけが背負い続ける感じを思い知らされる。
私の場合、インテリアとかもっときれいな部屋に、とかもっと栄養のあり安価で健康的でエシカルな食事を、ということに向かうのだけど、そのすべてが、私個人でなかったとして、家庭、家の中だけに閉じていることに気づいた。これはもっと良くなることを書いた時には気づかなかった。ちなみに、もっときれいな部屋やもっと良い食事を創出するというゴールを描いたり、そこに向かって走るのは私個人だ。
いずれの場合も、他者と協力していないし、自分だけ(または家族まで)が受益者となるものだ。その数十人の婚活イベント参加者は、配偶者を求めずに、共済ないしは合弁事業でも立ち上げたほうが、偶然いい人がみつかり、かつ、不慮の事故などに会わず、独身だった場合よりも追加の害が発生することが無く無事添い遂げられる場合のに比べて、圧倒的に計画実行可能なものではないだろうか。つまり、配偶者に安定をもとめるのではなく、頼れる近所、友達、村、コミュニティ、なんなら、ましな地球を維持するためのアクションがとれる共同体を作ったほうが、誰かひとりに頼るよりはいいような気がするんだけど。その共済ないしは事業の運営や維持において、偶然配偶者関係になることはあるとしても逆は絶対にないんじゃないだろうか。自治体も、婚活イベントに助成して、徴税するよりも、結婚しなくても楽しく生きていける街づくりをしたらどうだろうか。や、婚活したことないからすべて憶測だけれど。わたしはもっときれいな部屋をつくるのもいいけれども、部屋にすがることなくおおらかに過ごせる環境を整えたら…、自炊しなくても、素敵な食事が提供される店が溢れる地域につくりかえられたら…、いいんじゃないだろうか。それはもっといいことを指しているようにも思うけれど💦
Astra Taylorは決して婚活や老後の話をしているのではないけれども、結局「必要なのはコレクティブ・アクション」だと言っている。彼女は環境活動家でありドキュメンタリー作家なのだけど、私の書いたことは女性でいることの諸問題という視点でもあるから、根源的に地球の問題とつながっている。