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2024年3月7日木曜日

ヘッジファンドとローカルジャーナリズム

 オーナーシップを確認することは、メディアやそのコンテンツを分析するもっとも端的な方法の一つ。オンラインメディアが浸透し、ネット上の情報にアクセスできるようになったことで、アメリカの地方紙は、紙媒体から電子媒体へのデジタル化しビジネスモデルを転換を迫られた、苦難がともないました。地方紙の経営危機に乗じて、ヘッジファンドが地方紙を買収するケースが2010年代から2020年代にかけて増加。その結果、なにが起きたか。民主主義社会において、地方紙が担う機能は何かといったテーマに着目したドキュメンタリーが公開されています。


経営難で倒産したり買収されたりすることは、ここ10年くらいでいろいろなところでぽつぽつあったのですが、その固有の事象を、一つのトレンドとして俯瞰し、さらにプレスの機能の文脈、つまり現代の情報の流通の倫理の側面から解釈できる良作です。

メディアオーナーシップは、新しい問題ではありません。メディアのオーナーシップと、民主主義の関係を一番声高に政治問題として語っているのは、バーニー・サンダーズ。こちらの出馬時の広報サイトが論点をよくまとめてくれてあります。昔から、バーニーはこの問題意識が強かったことを表す懐かし映像をいくつか↓↓↓

バーモント州チッテンデン郡のコミュニティケーブル放送CCTVで1987年放送の映像で、バーニーサンダーズがメディアオーナーシップについてインタビューしています。
こちらはアビー・ホフマンと。この動画は一時期MotherJonesに掘り出されて一時期話題になりましたね。

出馬時、メディア規制の在り方を一つの争点としてキャンペーンしていたので、オピニオン記事を寄稿して、次のように語っています。
残念ながら、1960年にA.J.リーブリングが書いたように 「報道の自由は、報道機関を所有する者にのみ保証される。そして、報道機関、ラジオ局、テレビ局、書籍出版社、映画会社を所有する人々は、ますます少なくなり、ますます大きな権力を持つようになっている。これはもはや無視できない危機である。

当時は、メディアの寡占と民主主義の情報流通の問題でしたが、今回はヘッジファンドがローカルニュースを買っているという問題で、寡占とは別の問題です。どちらも資本やオーナーシップの問題という点では同じですが。

ヘッジファンドという新しいプレーヤーがアメリカのジャーナリズムに影響を与えていることについて、最近報道が増えてきました。というのも「ヘッジド:民間投資ファンドはいかにしてアメリカの新聞を破壊し、民主主義を弱体化させたか?」という本が出たんですね。


On the Mediaでも紹介されていました。

2021年10月12日火曜日

フェイスブックを叩いてインターネットの自由を狭めたら思うつぼ

 前回の投稿で、フェイスブックの内部告発をきっかけとした、フェイスブックに対する大バッシングについて紹介しました。フェイスブックへの強まる批判とともに、規制強化へ共和党、民主党の両党の議員が強くうなづく、そんな風潮が高まっています。しかし、もしこの規制強化が、通信品位法の230条を改め、プラットフォーム企業に対してユーザの投稿の責任を持たせることとすれば、それはフェイスブックの思うつぼかもしれない、とテクノロジーとインターネットの自由に関するブログTechdirtのMike Masonicは懸念しています

適法に業務を行いながらも、どっちつかずで時代遅れの規制(もしくはそれが無いこと)のせいで、たびたび公聴会に呼ばれたり、多額のロビー費用をかけたり、年中裁判しなければいけないなら、もう、規制法つくってくれよ、その通りにするからさ、とさすがのフェイスブックも思いたいのではないでしょうか。  

 実際に上記動画が表すのは、フェイスブックのがインターネット規制の立法を求める意見広告。実際に今年春の公聴会でもマークザッカーバーグは、230条項の改正賛成を示唆していました。通信品位法の230条によって、プラットフォーム企業はユーザ投稿についての責務を逃れてきました。もし、通信品位法230条の改定でユーザ投稿についてプラットフォームが責任を負うことになるとしたら、一見すると巨大プラットフォーム企業をお仕置きする手立てとなりそうに見えますが、実際には、寡占状態をさらに加速し、参入障壁を高くし、市場のバランスがさらに悪化することが懸念されるのです。

フェイスブックの問題を直すための正解はわかりませんが、いくつかの論点が明らかになってきています。感情的なフェイスブック批判が横行しがちな中、規制強化がかえって悪影響を及ぼすことについても十分に留意が必要です。

特に巨大プラットフォーム企業は、通信品位法で免除されていた責任を、新たに負わなければならなくなったところで、十分な法的対応資源を有し、準拠するよう舵取りをすることができます。しかし、もし新たなプラットフォームサービスをゼロからつくるようなスタートアップにとっては、ユーザ投稿についてまでぬかりなく、新たな事業を展開していくのは非常に障壁が高くなってしまうことが考えられます。

同様の指摘をCory Doctrowもしています今月のACMの雑誌に寄稿し、(フェイスブックのような)巨大テック企業を直すんじゃなくて、インターネットを直すんだという視座から、(そして得意の著作権侵害をリラックスさせることを含みつつ)ユーザ側のコントロールを優位にし、相互運用性を強化する仕組みをつくることを提案しています。
面白いことに、この案だと、改正すべきは、コンピュータ詐欺と濫用に関する法律と、デジタルミレニアム著作権法になります(笑!!)しかも、雑にとらえて種別分けするとしたら、規制緩和ですね。(一方で、併せてACCESS ACT=Augmenting Compatibility and Competition by Enabling Service Switching Act、ざっくりした説明をするなら、データポータビリティを保障する法律かな。。。の立法も支持しているようだし、おおよそEFFの主張とかぶる、というかそもそもEFFの特別顧問みたいな立場でもある)

内部告発に関連するなかででてくる問題解消案の一つの選択肢にビッグテック規制監督官庁の設立があります。

嗚呼、ビッグテック規制(Politicoが行った最近の国際パネルディスカッション)

元FCCのTom Wheelerはかなり前から、対象セクター向けの監督官庁Digital Platform Agency (DPA)を作るべきだと言っています。(前にも紹介したような気がするが、ブルッキングス研究所の寄稿や、あとパブリックナレッジも似たような規制官庁を提言してたので、今回改めてその語気を強めている)

監督官庁が有効かどうかわかりませんが、EFFやCory Doctrowが目指すような相互運用性を現実のものとするためには、その実施を義務付けるような根拠法のようなものがいるのかもしれない(もしくは、それを実施したときに、著作権侵害で訴えられたり買収されて消えたりしないように)ような気がします。ええ、法律の専門家じゃないからわかりませんけど。。この相互運用性は、もしかすると、ちょっとずれ気味だったフランシスフクヤマが過去に仕上げたホワイトペーパーで「ミドルウェア」と呼んでいたものを、実際にはオープンな相互運用性の実装で、担保するというところのような気がします。


巨大テック問題ーでも批判するマスコミも同じ

 フェイスブックの内部告発者が60ミニッツに出演し話題を呼んでいます。フェイスブックは、若い子たちへの有害性を知りながらも調査資料に蓋をし、コンテンツの掲示に関わるアルゴリズムについて利益を追求のために使い続けたことが批判されています。


ちょうど上院での公聴会の最中だったり、欧州が米巨大テック企業への規制を強めていたところという時勢的な状況も重なって、新聞テレビ等のマスコミはフェイスブックを大バッシング。国際的にも問題となっています。フェイスブックが独占的な立場を優位に利用して、ユーザのエンゲージメント(という名の従事時間)を最大化するよう、特に弱い立場にある10代への影響を知りながら、十分な対応をしてこなかったのは、そりゃーいかんだろう。(Timeの表紙はこんなふうになっちゃってる、キツっ)

一方、このメディアからの大バッシングに、冷めた目を向ける人もいます。(一言でいうと、もっとも基本的なU.Y.C.の事例) 落ち着いてみてみましょう。マスコミがフェイスブックを批判しているのは、「利益を最大化して、若者への悪影響を蔑ろにした」からですが、マスコミはその常習犯です。先ほどのTIMEの表紙がわかりやすいですが、今回の報道では、Facebook=ザッカーバーグとして象徴、一般化し、フェイスブックが悪い、というようにことをずいぶんと単純化してしまいがちです。これに対して、ウェブの世界の長老ともいうべきでしょうか(ブログ始めて27年だそう)Dave WinerはFacebookの内在する複雑性を単純化することを批判し、フェイスブックは我々だ、と投稿しています。その投稿の中では

「フェイスブックは言ってみればニューヨークみたいなものだ。もしタバコ会社の本拠地がすべてニューヨークにあったら、ニューヨーク市長が癌の元凶の犯罪者だって言っているようなもんだ。実際にフェイスブックはニューヨークの何百倍も大きいんだから、いろんなことがあるってことを理解してよ」と。

そして「フェイスブックがー」と言うのは焦点が定まらなさ過ぎので、その意味するところをしっかり検討するようにと口を酸っぱくして言っています。

Facebookとは・・・ 
1.マークザッカーバーグのこと
2.パブリックコーポレーションとしてのFB
3.60Kの従業員
4.サーバー、ソフトなどの技術
5. 広告プラットフォーム
6. ユーザコミュニティ
7.ウェブへと接続するもの
8. ビデオや画像、投稿、ライブ配信など、現在過去のあらゆるコンテンツのこと


マスコミのほとんども現在は、トラフィックの大部分やシステムをGAFAに頼っている(ニュースサイト訪問のほとんどはSNSからの流入)わけだし、確かにやっていることの構造はほとんど一緒です。

同様の指摘はこちらにも。

フェイスブックについて人よりもカネを優先する悪いと世間に伝えるなら、プレス(マスコミ)だって、同じことをしちゃいけないはずだ(でもしてる)。クリックベイト記事やとんでも記事でトラフィックを捻出したりしないってこと。

あと、面白かったのはコレ↓。新聞が、フェイスブック閉鎖や解体をに声を強めながら、この論争の最中、フェイスブックのサイトが一時アクセスできなかったことについて、咎める新聞記事に、どっちやねん!と突っ込みをいれている投稿。

新聞記事:「フェイスブックは邪悪!閉鎖すべき」
これも新聞記事:「フェイスブックは6時間落ちてたので、再発防止に努めるべき」(どっちやねん)

「私の言いたいことは、我々プレスが、他者にアカウンタビリティを求めるなら、自分自身についても、より高い水準を保つよう努めなければおかしい。もし、フェイスブックが人々のプライバシーを侵害していると、世間に伝えるならば、我々プレスも、同じように人々のプライバシーを侵害してはならないはず(だが、している) 」

内部告発から、単なるフェイスブック叩きに終始してしまうと、ことの論点を単純化しゆがめてしまい、本来議論すべき事柄や検討すべき選択肢がぼやけてしまうように見えます。

今回は、フェイスブックの内部告発により明らかにされた巨大テックの持つ強いパワーや不均衡について報道するはずのプレス(マスコミ)に対する批評をいくつか紹介しました。フェイスブックの問題をひも解いていくと、実はそれは自然と、インターネット以前の時代に、これまでマスコミが指摘されてきたことといくつかは同じ性質を持っている、ということに気づくと、マスコミ批評がこれまで展開してきた論点や規制のありかた(うまくいってないけど!)を巨大テック企業にも応用することができるというヒントをくれているように思います。

もちろん、編集者によるニュースの選別と、アルゴリズムにより自動化された選別や掲示というのは、背景の仕組みやその規模のインパクトが大きくちがうし、テック周りの法整備が未発達である、テクノロジーの複雑性への理解をほとんどの人は持ち合わせていないことから、巨大テック問題をどう解消すべきか、みんなで落ち着て議論するのがかなり難しい現状にあります。そうすると、今回の一件で、マスコミがフェイスブック叩きに走ることで、なんだか違う、インターネットの自由を侵す方向に走ってしまう可能性もあるということは留意しておかなければいけなさそうです。

次回は、くわしくそれ。

2020年5月18日月曜日

自警団とアプリ(自粛ポリス考 その2)

自粛ポリス考その1では、パンデミックによる不安・ストレスと、インターネット利用時間が増えデータ(ニュースやSNSでの情報)との付き合いが多くなっていく中、Web2.0以前から指摘されてきたヘイトやデマの問題に加え、より効率的に最適化された近年のアルゴリズム等によって拍車がかかっていくこと、その背景にる広告ビジネスモデルについて目を向けてみました。

考えてみるとインターネット以前においても、デマとヘイト・人種差別と私刑行為はいつもタッグを組んで厭うべき対象を共有し、排斥行為を繰り返してきました。私刑行為の正当化はほとんどの場合、不安の中、デマや誤情報が拡散されヘイトの対象となるグループにより命の危険にされるとして自身や家族(特に女性や子供)を守るためとして自警団を組織していきます。

銃の所有が容認されている米国ではボランティアでパトロールを行う自警団員が、丸腰の少年を結果的に銃殺してしまったケースがありその背景として世間からは人種差別が指摘されました。さらに古くは検証済みでないデマが発端となり自警団の行動が大量虐殺を引き起こした100年前のケースなど、挙げればきりがありません。ヘイトの被害にあうのは、特定のグループに属する人種に限定されず、実際にはその特定グループ以外の人々も被害が及びます。

'Watchmen' revived it. But the history of the 1921 Tulsa race massacre was nearly lost

The explosive opening in the first episode of HBO's "Watchmen," with citizens of a black Tulsa, Okla., neighborhood being gunned down by white vigilantes, black businesses deliberately burned and even aerial attacks, has brought new attention to the nearly buried history of what the Oklahoma Historical Society calls "the single worst incident of racial violence in American history."

日本においても不安やストレスが強い環境において特定のグループへのヘイトが高まり、ヘイトの対象と同一視され殺害されてしまった歴史もあります。自粛ポリスをインターネットのせいだ、として悪者扱いしても(というかインターネットを相手にしても・・・)何の糸口にもなりません。自粛ポリス考その1で書いたように、サイバースペースの問題と物理世界の問題をそれぞれ別の問題として断絶させてしまう事態が続かないよう包括的なアプローチが必要です。

パンデミックにおけるテクノロジーへのまなざしも分断しています。情報の加工や収集、拡散が容易になったことでインフォデミックが起こり、その原因として予てから指摘されてきたリテラシー教育の不十分さや、プラットフォームの推薦アルゴリズムどを問題視する声も生まれます。一方で、感染拡大の防止にテクノロジーが打開策を提供してくれるだろうとして、データの集積やGPS等に希望を見出すものもいます。

人間の尊い命を奪うウイルスによる未曽有の事態においてテクノロジーとどう向き合い、取り組むべきなのか。このブログでも過去に何度か参照し、テクノロジーの解決主義(Solutionism)批判で知られるEvegeny Morozoffは、今般もガーディアン紙に「パンデミックを”IT政策”で乗り切るのは大間違い」と寄せています。相手が未知のウイルスであっても、教訓となる事柄は充分にあると考えます。同様に過去に参照したユヴァル・ノア・ハラリは「パンデミックよりも恐ろしいのは人間のヘイト、欲、無知」だとし、さらに個人データ収集については「市民への監視が進むのであれば、政府への監視も併せて強めなければならない」と話しています。


私が思い出したのは、過去に国内で議論を巻き起こしたテクノロジーによる浅はかな解決主義に対する批判です。日本のGoogleによるインパクトチャレンジという社会課題解決にICTを使うビジネスコンテストで、あるNPOが起案した「GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」が、ホームレスの当事者支援団体などにより批判を浴びました。突っ込みどころが多すぎるから詳しくは書きませんが、先に触れたパトロールや不安と差別、ヘイトなど様々な問題を含有します。善意が、意図せずこういう方向に向かってしまうのは残念と思うとともに、では何を理解しておくべきだったのか、というと大学の講義で体系だって教わることでもないのかもしれないので、想像しようもなかったのかもと思うと、どのような手立てでこうしたことが防げるのかな、というのが私にとってテーマでもあります。

NPO法人Homedoor「CRIMELESS(GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」への批判

Googleインパクトチャレンジ受賞『CRIMELESS(GPS による治安維持とホームレス雇用の両立)』の問題点 参考:「日本におけるGoogleインパクトチャレンジ」のグランプリを受賞した事業「CRIMELESS」についての意見書 http://lluvia.tea-nifty.com/homelesssogosodan/2015/03/googlecrimeless.html

テクノロジーをどう利用するのか、政治とデータの関係は一層密を極めています。個人がデータの行きつく先について理解せずともテクノロジーの利用は増える一方です。最近ではトランプ陣営が新たなアプリをリリースし話題になっています。これに対し、シンクタンクのTactical Technology Collectiveは、「キャンペーンアプリは同じ考えを持つユーザを集めるので、思想的多様性が避けられてしまい一層フィルターバブルやコンファメーションバイアスを強化するリスクがある.  」と警鐘を鳴らしています。

また最近になって、トランプ陣営が勝利したのは単に他の候補者よりもFacebookに莫大な広告費をかけ、Facebook広告が算出した最適化された広告を活用したことが勝因になったのでは(つまりキャンペーンマネージャーという人間による戦略的に案を練って低コストで最適な効果を得る広告を作るという意思決定ではなく、Facebook広告に内在する計算機が導いた)との分析も改めて注目されています。そして政治的キャンペーン、選挙活動としてトランプ陣営はパンデミックを利用し、憎悪を増幅させるキャンペーンを展開しています。
画像:https://www.anotheracronym.orgによる選挙広告に関する分析記事


 問題は、こうした憎悪は特定のグループに作用するだけでなく、ひいてはそれ以外の人々にも被害をもたらします。パンデミックをもたらしたウイルスを裁いたりリンチしたりできないフラストレーションが、さらなる憎悪や分断を生むなか、過去の教訓に学びながらテクノロジーへのバランスの取れた視座を得ようと試みることが必要なのではないでしょうか。

2020年5月14日木曜日

パンデミック、インフォデミック(自粛ポリス考その1)

緊急事態宣言で外出自粛が続く中、日本では「自粛ポリス」が問題になっています。今回は、自粛ポリス考(その1)として、その背景にある個人情報晒し(Doxxing)やヘイト、誤情報の関係について考えてみたいと思います。

他県ナンバー狩り、ネットで中傷...暴走する"自粛ポリス" | 2ページ目

「自粛警察」の事例 「自粛」とどう向き合うか 感染不安...他人にぶつけてカタルシス  休業要請の有無にかかわらず営業する店舗を非難したり、外出する人々をインターネット上で"告発"したり-。会員制 交流サイト (SNS)で「自粛警察(ポリス)」と呼ばれる動きによって、人権侵害につながるケースも生じている。 ...
自粛ポリスとは、外出や営業をする他者の行動に対してネット上で非難し個人攻撃することによって取り締まろうとする私刑行為と捉えればよいでしょう。今般のパンデミック以前からネット上で気にくわない他者に対して個人情報を晒すなどの嫌がらせをすることで自分の思う正義を果たそうとしてしまうネット私刑が定期的に表面化し問題となってきました。

加速するネットリンチの残酷、住所など個人情報晒しは法律的に「アウト」

10月に発覚した神戸市の教員間いじめ・暴行事件。加害者とされる教員たちの実名はもちろん、住所や家族の名前、職業などがネットで晒されている。個人情報を安易にネット上に書き込んでしまうネットユーザーたちが増えているからだ。しかし、こうした行動の多くは、法律的には「アウト」である。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎) ...
こうしたネット私刑の問題は今に始まったことでもなければ、日本人特有の問題ではありません。ネットでの個人情報を晒す行為は、英語で"dox"と呼ばれています。情報を専門的に扱うプロフェッショナルである記者を囲うニューヨークタイムズは、情報セキュリティ研修の一環としてdoxxingの慣行から記者を守る方法を教え、その教材を公開しています。

How to Dox Yourself on the Internet

By Kristen Kozinski and Neena Kapur No one wants their home address on the internet. That is personal information we typically only give out to friends, family and maybe our favorite online stores. Yet, for many of us, that information is available and accessible to anyone with an internet connection.
ネット中傷の歴史を遡れば、1999年のスマイリーキクチ中傷被害事件も有名です。これには、ネットでの個人への行き過ぎた中傷とデマが横行することで相乗的に悪い影響をもたらした事例ですが、近年はSNSの特定のユーザにはより好ましい情報だけを提供するようなアルゴリズムなどがより効果的に作用しフィルターバブルを作ることでサイバーカスケードが一層起こりやすくなり、フェイクニュース問題が生まれ、世界的にデマや意見の先鋭化の温床となっています。

COVID19のパンデミックに際しては、感染症に加えて誤情報が蔓延する危機的な事態「インフォデミック」への懸念から、誤情報への対策が声高に叫ばれてきましたが、誤情報対策だけではなく「ヘイト」対策の視点が重要だと私は思います。

今のような形のSNSが一般化する以前、ヘイトの拡散に影響力を持つ主体はマスメディアで、日本は国連自主差別撤廃委員会から2010年の勧告(日本語PDF)で次のような指摘を受けていました。

26.人権相談窓ロの設置や人権教育や促進など締約国によってとられた人種的偏見をなくすための措置に留意しながら、委員会はメディアに関して、そしてテレビやラジオ番組への人権の取リ込みに関して具体的な情報が欠如していることに懸念をもち続ける(第7条)。 委員会は締約国が、人種差別撤廃を目的として、寛容および尊重の教育目的を取り入れながら、日本国籍者および非日本国籍者双方の社会的に弱い立場にある集団に関する問題が、適切にメディアで表現されることを保障する公教育および啓発キャンペーンを強化するよう勧告する。委員会はまた、締約国が、人権教育の向上におけるメディアの役割に特に注意を払い、メディアや報道における人種差別につながる人種的偏見に対する措置を強化することを勧告する。加えて、ジヤーナリストやメディア部門で働く人びとに人種差別に関する意識を向上させるための教育および研修を勧告する。
またインターネット上のヘイトに関連する事項では
13.締約国が提供した説明に留意しつつも、委員会は条約第4条(a)(b)の留保を懸念する。委員会はまた、韓国・朝鮮学校に通う子どもたちなどの集団に向けられる露骨で粗野な発言と行動の相次ぐ事件と、特に部落民に向けられたインターネット上の有害で人種差別的な表現と攻撃に懸念をもって留意する。
この勧告と事態の発展からその後2014年以降の日本のヘイトスピーチ規制への流れへ向かっていきます。この時点ではヘイトスピーチ規制はあくまでエスニックマイノリティなど特定の集団を攻撃から保護・救済するというような受け取られ方が中心的だったように思いますが、もっと本質的な懸念は、この特定の集団というのがいつ自分の所属する集団と同義になるやもしれない、という点です。定義としてヘイトスピーチやヘイトクライムは弱い立場にある特定集団に限定されていますが、ヘイト行そのものが拡散する原理は、ヘイトの対象に限らず同じ環境にあります。かつてインターネット上の問題はインターネット上の問題(としてとどまる)、と捉えられていた時期がありましたが、Web2.0以降から徐々にシフトし、それは現実社会にも害をもたらすので合算して取り組まなければいけない(つまりインターネットの安心安全を扱うものと、例えば実際の人権問題を扱うもの、とが合同で取り組まなければならない課題)という課題意識が共有されてきています。それでも、取り組む当局および市民社会の体制としてはその二者がいまだ断絶しているケースも少なくないように感じられます。

前置きが恐ろしく長くなりましたが、今回の自粛ポリス、というのもデマとヘイトが手を結んで大きな力をネットから飛び出して現実社会へ影響をもたらしてきている延長です。かつてメディアではヘイトの拡散の防止の措置として、記者やメディアで働く人々への教育や研修が有効な手段として提言されていたという過去を振り返ることができます。このことは、誰でも情報発信できるようになった今、ネットメディアやユーザへの教育に期待されるものと捉えられます。

さらにメディア批評の過去を振り返ると、専門集団であってもマスコミが誤報や中傷を拡散してしまった経緯としてそのビジネスモデルや構造が指摘されていました。商業メディアにとってはセンセーショナルであればウケる、感情的で扇動的であれば部数が伸びる、視聴率を武器に広告収入を得る、スクープをとれば賞をもらえたり昇進できる、というような点です。こうした構造的な問題は、広義での広告収入で成り立つネットメディアも引き継いでいます。ではこれについてどうすればいいのか。

センセーショナルであることで知られるイギリスのタブロイド紙が流布するヘイトに対抗しようと2016年に始まったキャンペーンの母体となるStop Funding Hateは、デジタル広告を出稿する企業が道徳的に広告出稿先を選ぶべき、と取り組んでいます。具体的には、タブロイド紙のヘイト記事のモニタリングや、ヘイトを増幅させるような見出し(いわゆるクリックベイト clickbait)をつける媒体へ広告を出す企業への抗議や不買運動のような取組です。下記のリンクでは、今回のパンデミックにおいてもタブロイド紙が、移民や特定の宗教を信じる人々に対して誤った情報からセンセーショナルな記事を誤報発覚後も掲載し続け広告収入を得てていることや、恐怖や不安に取り組んで陰謀論を展開するYoutube動画が広告収入を得ていることなどを指摘しています。この取組の興味深い点は、一般に誤情報やヘイトの拡散の問題についてはSNSなどのプラットフォームが原因として注視されがちであるのに対し、Stop Funding Hateは、原因追及の矛先をプラットフォームではなく広告(または広告主)に向けているという点です。そして、ユーザが自分の好きな企業の広告が危うい誤情報記事に掲載されていたのなら、広告主に知らせてあげましょう、と呼び掛けています。

The drive for clicks: The coronavirus, misinformation and digital advertising

Online media and digital advertising go hand in hand. Media companies need advertising to make money, so they write articles that get as many clicks as possible. This often means sensationalism, the use of fear and, sometimes, using hate. And sadly, this doesn't change in times of a global pandemic.

ただネット広告の仕組みは多くの場合、技術的に非常に複雑・高度で、具体的にどのようなコンテンツに広告が掲載されるか広告主には自明ではありません(たとえばRTB)。だから、Stop Funding Hateがいくら広告主に知らせたところで「広告主が目視で選別したわけじゃない、そういうアドテクだから仕方がない」と言われればそこまでのような気もします。おそらく媒体のモニタリング活動と併せて行うことで、特定のタブロイド紙には広告出すな、とし、こうした意識を広めることで、媒体そのものが利益のためにはヘイトや偏見を流布しないほうがよい(そうしないと広告が入らない)、と判断してくれる旗振りしていくことは(頑張れば)できるでしょうが、アドネットワークの仕組みを考えるとずいぶん限定的な効果しかもたらさないような気もします。(というかユーザ側もそういうネット広告はスキップ、スクロールしちゃうからなんの広告が出てたか記憶さえしてなよね?!レイバンくらい!?あとコメントボックスとかでヘイトが展開されたらそれも?)

余談ですが広告の話になってきて、なんだかぶり返すものがありますよね。―漫画村です。

「望んで広告を出しているものではない」 海賊サイト広告問題、出稿していた大手企業の言い分は

海賊版サイトの主な資金源となっていた「広告主」が問題になっている件で、ねとらぼ編集部は海賊版動画サイト「MioMio」に広告を表示していた企業に取材しました。なお取材との関連性は不明ですが、編集部が取材した翌日、当該部分の広告枠が削除されたのを確認しています(また時を同じくして、動画の再生ページ自体も削除され、現在は動画が見られない状態となってます)。 ...

誤情報の拡散を断ち切るには、なんらかの法律でもって当局による規制をするか、業界団体などによる自主規定(そういえばその後どうなったのかな)、媒体やプラットフォーム企業が自らを律する、もしくは一般ユーザの教育啓蒙などが常套手段のようですが、今回パンデミックに際しては、ネットの問題と実際社会で起きていることをあわせて考える必要があることをより一層明らかにしているように思います。

自粛ポリスのような過剰な個人攻撃が増えたり、炎上案件がでてきたりするのには、パンデミックの影響で人との接点が減り、ネットを利用する機会や時間が急激に増え、パンデミックの不安やストレスを抱え、やり場のない気持ちを、ネットで得た正しくない情報やな知識を根拠に、自分より非難されるのが妥当であると考える相手に向けてしまっていることがあります。逆に言えば、パンデミック以前にヘイトクライムやネットの言説を真に受けて犯罪手前に向かってしまった人たちは、そういう環境にあった。たとえ、規制をしていってクリーンなインターネットを一時的につくったとしても、現実世界に救いがなく荒れたままなら、いたちごっこのような気がします。(なんだかヒップホップVSアメリカ論争を思い出しませんか?)

ネットの利用時間が増えることで増大する不安については、データデトックスを普及させることが有効ですが、それにしても、メディアとしての問題から一歩(や、もっと?)外に出て、悪者探しに怒り嫌悪を抱くというような時代の精神性を見つめていかなければいけないのかもしれません。

自粛ポリス考(その2)は、自粛ポリスについてアメリカの自警団、アプリによる政治キャンペーンについて参考に考えてみたいと思います。

2020年2月28日金曜日

シニア向けフェイクニュース対策ワークショップ

プリンストン大学とNY大学ソーシャルメディア政治参加ラボの共同研究によると、2016年のアメリカ大統領選挙期間中にフェイクニュースをシェアしたのは、アメリカ国民のうちわずか9パーセントにとどまるという論文が発表されました。この論文の注目すべき点は、世代によってフェイクニュースを拡散しやすい傾向があることを次のように示しているところです。

「18歳から29歳のユーザでは3パーセントがフェイクニュースサイトから記事の拡散を行った。その一方で、65歳以上では11パーセントとなった」

Fake News Shared by Very Few, But Those Over 65 More Likely to Pass on Such Stories, New Study Finds

To identify "fake news" sources, the researchers relied on a list of domains assembled by Craig Silverman of BuzzFeed News, the primary journalist covering the phenomenon in 2016. They classified as fake news any stories coming from such sites. They supplemented this list with other peer-reviewed sources to generate a list of fake news stories specifically debunked by fact-checking organizations.
 ということは、シニア向けのリテラシー対策をすることが重要ではないか、ということでテクノロジー企業の支援を受けシニア世帯向けのIT推進を行うNPOシニアプラネットがワークショップ「フェイクニュースの見つけ方」を開催したそうです。

※このシニアプラネットというNPOですが、なかなか立派で、テクノロジーレビューではシニア向けのコワーキングスペース(セミナーや支援もあり)が取り上げられています。

With An Election On The Horizon, Older Adults Get Help Spotting Fake News

At the Schweinhaut Senior Center in suburban Maryland, about a dozen seniors gather around iPads and laptops, investigating a suspicious meme of House Speaker Nancy Pelosi. Plastered over her image, in big, white block letters, a caption reads: "California will receive 13 extra seats in Congress by including 10 million illegal aliens in the 2020 U.S.
シニア世代がフェイクニュースに弱い背景には「確証バイアス」があるからだとの考察もあります。 過去の経験からそうだと思ったことを強化する情報があればそれを肯定するようにして信じてしまう傾向は年齢とともに強まるのも無理はないでしょう。そしてもう一つには、独りで過ごす時間が長いため、スクリーンに向かってシェアしてしまう、というようなこと。

日本ではもっとニーズがありそうですね。