2013年1月21日月曜日

「デジタルの裏庭」について感想その1



コンピューターには忘却機能がない。しかし人間は簡単に忘れてしまう。どうやらインターネットはメディア論を忘れてしまったのではないか。デジタルでおこる様々な問題は、どこか聞き覚えがあるような気がしてならない。
Photo by SMAL 2013, CC BY SA 2.0 

1月10日から12日の3日間にわたって開かれた国際会議「デジタルの裏庭」では、アート、ソーシャル・インパクト、CGM、オンラインニュースについてそれぞれの視点から、インターネットの巨人であるフェイスブックやグーグルの代わりとなる選択肢の可能性について、議論、報告された。この会議には国内外からアーティスト、起業家、研究者、新たな文化の担い手、ジャーナリスト、プログラマなどが集合し文科会ごとに議論を重ねた。私もその一人として参加した

12日の報告会を締めくくるにあたって北翔大学の相内眞子学長はデジタルの裏庭についてこう述べた。
「現代社会における人間の疎外が、ソーシャルメディアを通したつながりの中で回復できるのか?デジタルの裏庭がその解決の場となるのか。裏庭といえば、BBQグリルを囲み、家族や親しい友人たちと楽しくワイワイ食べ、かつ飲むというイメージですし、また英語で総論賛成、各論反対をNot In My Backyardといいますが、
なるほど裏庭は憩うところであり、他者の侵入や新プロジェクトの参入を嫌う場所でもあります。デジタルの裏庭がつながりの回復や新たな絆を結びあう場となるのか、興味の尽きない裏庭メタファーであると思います。」

この言葉を聞いて、あるメディア理論家の一説を思いだした。メディア理論家で「Life.Inc」著者のダグラス・ラシュコフの言葉だ。


彼は中世のルネッサンスがもたらしたチャーター制のコーポラティズムを批判し動画の中でこう話す。
僕は中流階級の住む クイーンズというところで育った。 家と家は近くて 裏庭はみんなで使い 同じバーベキューセットを使った。 毎週金曜は、近所でバーベキューをし、子どもたちは一緒にごちそうになった。 そのうち、わたしの父がもっと稼ぐようになると、僕たちは セレブな土地に引っ越した。 ウエストチェスターというところで、広いお庭に、うちだけのBBQセットを持つようになった。
 バーベキューが家族だけのものになると、となり近所とは張り合うようになったんだ。となりがビフテキなら、うちはサーロインだぞとか、 あっちがヒレ肉ならもっと上級品を、とね。 競い合ううちにバーベキューの楽しみは消えてしまった。 誰もが自分のグリルを買ったから GNPは上がったけれど、みんなでBBQした頃の コミュニティー精神は消えてしまった。今や、僕たちのほとんどは、時間の大半を仕事と消費に費やし、あとは疲れ果てて何もできなくなってしまっている。

また、コーポラティズムがもたらした変化について「王領では皆が同じ通貨を使うことになった。モノをつくって交換するとか、芸術の販売といったことには、スポンサーが必要になったのだ。 パトロンに法廷へ連れて行ってもらい、芸術家の認定を受けなければならなくなった。」とも話している。

現在あらゆるインターネット上のデジタルな活動は、王によるコーポラティズムではなく、インターネットの巨人たちによるチャーター制となったとも言えるのではないだろうか。社会を変えるような目新しいアプリケーションを作ったなら、それを流通させるためにはアップル社から認可を受けなければいけない。友人とコミュニケーションをとるために、複雑な人間性をいくつかの限られた選択肢にまで貶めてフェイスブックに登録することと、中世の王領の住民となることの違いを考えてみてほしい。

話をデジタルの裏庭に戻そう。主催のクリスチャン・ウォズニキはこう話した。「 これまで寝室(プライベート空間)で行われていたオタク的アクティビティが今やもっと公開され参加しやすい状態である「裏庭(backyards)」に移動してきている。そこには自律性や広さ、協業性がある。」

では、こうした自律性をもった活動がどうやったら人々とのつながりを確立し、何かを一緒にやり続けるということができるだろうか。このことは、私の参加した分科会「Open and Collaboration: Publishing Reloaded」で最も話されたこと「持続可能性」である。

分科会「Open and Collaboration: Publishing Reloaded」については明日書く。

2012年8月2日木曜日

スマホで報道ガイドブック

UCバークレーのGraduate Study of Journalismが「スマホで報道ガイドブック(mobile reporting field guide)」をiBooksとpdfバージョンでリリースしました。


”スマホ”といえど、iPhoneについてがほとんどで、バッテリーの負担率を併記しながら報道に使える、「アプリ」と「ギア」をレビューしながら紹介しています。http://mobilereportingguide.com/





2012年7月4日水曜日

ニュースバリューを測る新単位「ジョリー」と「カーダシアン」

Measure The News Value of Your Issue Using "Jolie" and "Kardashian"

あなたの解決しようとしている問題やトピックは、人々の関心を十分に集められているでしょうか?人権や飢饉といった問題は、セレブリティのスキャンダルと比較すると全く報道されていない、と感じることも多いかもしれません。では、どれくらい人々の注目をあつめたら、食糧危機への援助金を増やせるのでしょうか。


Gadgets powered by Google

上記のグラフはEthan ZuckermanがブログAn idea worth at least 40 nanoKardashians of your attentionで示したもの。ツイッターでのつぶやきや離婚報道などで話題のハリウッドセレブのKim Kardashian(グラフ青線)と、女優のアンジェリーナ・ジョリー(グラフ赤線)に関するウェブ上の情報量をGoogle Insightを使って表したものです。さらに、「飢饉famine」(オレンジ線)をクエリに追加するとどうでしょう―「飢饉」についての検索数は圧倒的に少なく、カーダシアンやジョリーと比較してほぼゼロに近いということがわかります。

そもそもどうしてアンジェリーナ・ジョリーやキム・カーダシアンと比較するかというと、理由があります。UNHCR親善大使を務めるアンジェリーナ・ジョリーは、これまでスーダンやチャドを訪問するなどして熱心にダルフール難民について取り組んでおり、彼女が「グローバル人道賞」を受賞した2005年、国際救援委員会はダルフールに対する援助はひとりあたり300㌦であったと発表している。(これに対し当時のコンゴ民主共和国の援助は一人当たり11㌦)。つまりアンジェリーナ・ジョリー分の関心をダルフール難民に注ぐことができた結果、援助金が27倍になっていると考えることもできるということです。(これらの数字については、Ethanのブログからの抜粋です。)

そこでジョリーよりもさらにインターネット上で話題となっているキム・カーダシアンを単位として社会的な問題のトレンド性を比較すると、40ナノカーダシアンの人々の関心を集めることができれば、それなりの影響力をもって社会を変えることができるのではないか、という試算です。

2002年、多摩川に現れたあごひげアザラシ「タマちゃん」について連日ニュースで大々的に報道されるなか、「有事法制」が十分に放送されぬままスルっと通ったということがありましたが、かつてアメリカでプレイメイトのAnna Nicole Smithが急死したときも、他の政策に関するニュースを差し置いて、彼女の死に関するゴシップがヘッドラインを飾り続ける、ということがありました。参照:Talk Hosts Feed the Anna Nicole Frenzy | Project for Excellence in Journalism (PEJ)

「何が問題か」、「何がニュースか」ということが世論をコントロールするわけですから、いかにひとびとにそのトピックを知らせるかということが第一歩です。そこでEthanは、 "Once we refine this methodology, I hope we can calculate exactly which celebrity needs to be deployed to address which global crisis " 「この方法を精緻化できれば、どのセレブにグローバル危機について取り組んでもらうべきか計算できる」としています。

2012年2月12日日曜日

RIP Social Media?

メモ的な走り書きになってしまうのですがソーシャルメディア界隈でちょっとチェックしておきたいことを二つ。

1)FacebookがIPO申請したのに合わせて、OnTheMedia.orgがフェイスブック王国について特集しています。 http://www.onthemedia.org/2012/feb/03/
Clay Shirkyもゲストで登場。

2)Topology of Influence
みんなもう知ってるのかな・・
ツイートレベル http://tweetlevel.edelman.com/Home.aspx を使って、あるトピックについてソーシャルメディアキャンペーンするときに、idea starterなのか、amplifier、curatorなのか、コメンテイターなのか、視聴者なのか分析し、影響力を最大限にする方法。 くわしくは、PR会社のエデルマンの報告書がワードで読めます。リンク(document)

I was watching BrightTalk (webinar) and found out about topology of influence.

2012年2月4日土曜日

アグリゲート!エンゲージ!

こんな落書きをつくってみました。TEDxKyotoのミーティングに行けなかったのでグレてます(そんなことありません)。だからRSAnimateっぽく書いてみました。

番人たちのことはもういい。はやくレモネードみたいにニュースで乾杯(toast)できるように策略します。同志、求ム!

ソマリアからの声 Somalia Speaks


ソマリアからの声 Somalia Speaks

ソマリアは「紛争」や「飢餓」「海賊」といったネガティブなことばかりメディア伝えられる発展途上国の一つだ。今回、Ushahidiを基盤にし、アルジャジーラ英語版がソマリアじゅうの声を携帯電話のショートメッセージサービスSMSでアグリゲートする「ソマリアからの声」というプロジェクトを開始した。投稿されたメッセージは英語に翻訳され、地図にプロットされる。国際電話番号を使ってビデオのリンクや写真のアップロードなども可能だ。

「ソマリアからの声」プロジェクトはSMSサービスを提供するNGOのSouktelとUshahidi、アルジャジーラ、Crowdflowerとアフリカンディアスポラインスティチュート、によるもの。


なんとこのプロジェクトのきっかけは、ヒップホップアーティストのK'naanとSolだったという。一年前にK'naanとSolは、Ushahidiのプラットフォームを使って、ソマリアの人々の声を届かせたい、世界にソマリアの人々が有能だってことも伝えたいんだと言ってUshahidiにコンタクトをとったことが始まりだった。最初につくられたバージョンはプロトタイプで実際に使用されなかったが、アルジャジーラ、SouktelとCrowdflowerの助けによりこのプロジェクトは再生し、数日で4000ものショートメールがとどき、80人の翻訳家が英語に変換した情報を載せたマップのページは2,500ページビューを超えた。

従来のメディアでは到底なしえなかったこと。しかも集約された情報にはソマリアのリアリティが溢れている。

パイロット段階ではあるものの、不安定な環境のなか、何千ものソマリアの人たちが、危機が自分たちの生活にどう影響を与えているか、意見を発信することができた。こうしたプロジェクトには、コミュニティの善意と、結束が必要であった。プロジェクトのためのコミュニティを形成することが、問題解決への最初の道筋であった。ボランティアの翻訳者たちに、ブログコミュニティーからのサポート、イノベイティブな考え方の人たちやメディア熱心なひとがそこらじゅうから集まって、自分たちの方法で「ソマリアの声」届けることに携わった。こうした強靭なコミュニティがあったからこそ、プロジェクトが単なる一時的なスポットライトではなく、注目すべき情報として提示てきた言える。

方法
「ソマリアの紛争によりあなたの生活にどんな影響があるか、名前と故郷を明記してアルジャジーラまでお知らせください」

このメッセージをショートメールで5000人のソマリアにいるSMS購読者に送信した。するとこのメッセージはSouktelのSMSプラットフォームから、Crowdflowerのマイクロタスキングプラットフォームに転送される。ここで、ソマリア語を話すボランティアたちが位置情報を加え翻訳したあと、人力でアルジャジーラのUshahidiプラットフォームにアップされる。

教訓その1「メッセージ送信」
名前を明記、としたがフルネームである必要性はなく、こうした個人情報は早急に削除することになった。慈善に個人情報を入力しないように質問文に記載しておくべきだった。

教訓その2「ボランティア翻訳」
2500以上のメッセージを翻訳するために、当初から採用していた少人数の信頼できるボランティア翻訳者だけでなく、広く募集した。翻訳者たちは、メッセージの原文を見るため、個人を特定できる情報が入っていたりする場合があった。そのためCrowdflower側でプラグインをオフラインにしてもらうよう急きょお願いした。Crowdflower内にある数十の個人情報を含むメッセージを手作業で削除することになった。その後アルジャジーラ職員がマイクロタスキングプラットフォームをセットアップし、メッセージから個人情報を削除する流れとなった。

教訓その3
テスト結果、検索セキュリティ問題が12月9日に発覚、その後パッチを反映。(http://security.ushahidi.com)

「○○の声」型プロジェクトを行う場合、以下の手順を盛り込むことを推奨する。

 1.グローバルな組織で複数のタイムゾーンで行う場合、7日間24時間周期内に伝達のためのコンタクトポイントをそれぞれの組織で計画し設定しておくこと

 2.メインの質問を送信するまえに、潜在的インフォーマントには質問に協力する合意を確認する、またメッセージが公開されることを事前に承諾をとる。

3.インフォーマントには質問を送信し、個人が特定されないレベルで居場所と名前を明記してもらうように頼む

 4.事前に信頼できる翻訳ボランティアを採用し、マイクロタスキング翻訳プラットフォームに個人情報が出ないようにしておく。

 5.テキストメッセージとライブマップのロンチをずらす。まずはSMSでの配信をして、数日なり数週間なり翻訳のバルクなどに費やす。元のテキストメッセージを格納するシステムは十分にセキュアであること。テキストのプロセスがだいたい終わってからマップをロンチし、既に翻訳したテキストをマップに追加していく。これが数日から数週間のプロセスとなる。

クライシスマッピングとジャーナリズムはリアルタイムニュースで市民をつなげるコラボレーションの発生期にある。アルジャジーラはライブマップとニュースサイクルのツールキットを実験、導入をリードしているようだ。

2011年12月2日金曜日

@jonathanstrayによる「デジタルパブリックスフィアは何をすべきか」を読んで思うこと

タイムラインから目について@jonathanstrayによる「デジタルパブリックスフィアは何をすべきか」という記事を読んだ。ラフに要約するとこうだ。

今年の初め、僕は自分が語ろうとしているものの呼び名がわからないということに気づいた。僕が語ろうとしているのは―ジャーナリズムにソーシャルメディア、サーチエンジン、図書館、それにウィキペディアとアカデミアなもの、これらを知識とコミュニケーションのシステムとして捉えたもの―呼び名はない。でも生態系が存在している。ツイッターからキュレートされたリアルタイムのフィードや、リファレンスとしてのウィキペディア、ニッチな最前線で活躍する記者たち、コンピューター科学者がその中にいて、人間とアルゴリズムの両方のキュレーターがいる。芸術家や芸術作品もそこにはあって、なんていうかみんなでシェアしている世界っぽいもの。

これを何て呼んでいるか、ある人は「メディア」だと答えたが僕はメディアの芸術性やエンターテイメントな側面を語ろうとしているわけじゃなく、もっとディスカッションとかコラボレーションを通じた調査、新しい知識がで生まれるような概念も含んだものを語りたいのだ。別の人は「インフォメーション」と呼んだけど、知らされる情報だけでは片付かない。すごく近いけど「第四の権力」が表す新聞やジャーナリズムだけじゃなく、市民参加やパブリックディスコースを含めた、民主主義の下にあるもの。

ひっくるめて、僕はこれをハバーマスの考えを下地にして「デジタルパブリックスフィア」と呼ぶことにした。ちょっとドライな名前になってしまったけど今のところはこれがベストに思った。Michael Shudsonの「ニュースが民主主義のためにできる6つか7つのこと」という論文からもインスピレーションを受けて、デジタルパブリックスフィアは僕たちのためになにができるか、を三つのまとめてみた。

1)情報
2)共感
3)コレクティブアクション

このコレクティブアクションというのは、共同体がオーバーラップする時代だから。

なんでこんなことを今話しているかって?ジャーナリズムにソーシャルメディア、サーチエンジン、図書館、それにウィキペディアにいろいろ・・は今こそ共通の目的のために協力しなくちゃいけないからだ。
今あるネットワーク化された非中央集権的な生態系が形作るデジタルパブリックスフィアをみんなが大事だと思える目標のために協力していこう。

こう要約した私がどの角度からどんなサングラスでみているか少し話そう。私は現実主義的な国際関係論や政治学にどうしても抗したくて(政府がアクターだなんて!?)、いわゆる第四の権力について大学で学んだ。言い替えるとジャーナリズムとコミュニケーション論、それと文化人類学をおろそかにしないカルチュラルスタディースを少しだけかじってみた。マスコミがどう、ってことよりも草の根運動とか世論形成の方に関心があったのでなんとなく合わないなと思いつつも、フォーク(folk、民衆)の日々を綴ってこそ!という思いがありつまりはジャーナリズムっという椅子に座って考えたりモノを見たりすればいいと思ってた。ところが大学卒業前の2007年に聞いた二つの話にダブルパンチを受けた。ひとつはジョン・ピルジャーのプロフェッショナルジャーナリズムは意図的につくられたものというシカゴでの演説、もうひとつはコロンビアのJスクール出身の日本人教授が最後に、コミュニケーション論もジャーナリズムも「学」ではないんだよねっと今更ながらに話してくれたこと。私が呼吸し考え夢見ることを後ろ盾てくれる「共同体」とか「民主主義の味方」みたいなものは裸の王様の衣装にすぎなかったと。おそらく中立公平のせめぎ合いなんて、王様のズボンのチャックか何かだろう。

非実践的、非問題解決的、古典的学問に嫌気がさし(しかも学問とも呼べない!)、なんとか気を取り直して「情報」とその「構造」に目を向けるようになった。今のところすごく混乱している。「共同体」っていう捉え方で解決できないのは自覚しているから、そこにネットワークとか非人間とかいうアプリケーションを入れるようにしている。なんだかすごいスピードでいろいろ解決してくれたような気もしたが、じゃあそのアクタンやネットワークを「認識」する主体は誰なんだよっていう仰天のブートストラップ問題にひとりで陥っている。

@jonathanstrayが名づけられなくて困っているものと私がわくわくしている好きなものは同じ。ジャーナリズムにパブリックディスコースに公園と美術館とハッカーを混ぜたような新種のうごく地図。彼はデジタルパブリックスフィアというあまりグっとこない名前をつけた。(それだったらシビックメディアとかシビックエンゲージメントで私はいい、と思ってしまう。)天気さえわからない公共圏を名づけるよりも、ソーシャルキャピタルの豊かにするという合意で生態系の発展を創造する共同作業に着手するのが間近の目標だろう。