そんな中、今日はNY市長のゾーラン・クワメ・マムダニ氏が、AI Now Instituteが主催したイベントに登壇(会場はイーストビレッジのウェブスターホール)初等教育でAIの利用を一年間ストップするモラトリアムを導入した経緯などを短く語った。イベントの模様はYoutube Liveで配信され、リナ・カーン、Karen Haoらも登壇している。ラッパーのKota the Friendも出ていてNYっぽい。
AI Now Instituteは、Kate CrawfordとMeredith Whittakerの二人によってNYU(ニューヨーク大学、私学)に設置されており、2018年にAIの説明責任を求めるための評価フレームワークなどを作ったりしていて、AI批評では老舗。(NYのグリニッジヴィレッジのあたりにあってお洒落)。
今回のイベントは、The People’s Assemblyと題していて、ニューヨークの批判理論とアクティビズムの土壌を感じさせる。Peopleというのは民衆と訳して解釈すれば良いし(例:ハワード・ジンのA People's History of the United States)そのあとにつづく集合体を意味するAssemblyは、オキュパイ運動当時の行為体New York City General Assembly (NYCGA)を彷彿とさせる。(もちろん、相手がマシンであるところの構成であったり、分散を指向し、ドゥールズ、ガタリのAssemblageも)
イベントの最後は、カレン・ハオがモデレーターとなって、ナオミクラインと Arundhati Royが話す、その演題も「「Another World is Possible(もう一つの世界は可能だ)」。
Yung MiamiのSpend Datという曲がすごくヒットし、論争を巻き起こしている。この歌のサビで繰り返される主題は、「(汚い方法で手に入れた)あぶく銭をさっさと使っちまいな」である。原語では、"Where all my scamming ass ni**as at, spending dat money fast"と、詐欺などを働いて金を稼ぐような男たちに対する言及から始まり、続けて、かばんに商品を詰めてはスリを働く女たちにも言及。「そういった悪銭は、いまのうちに使っちまいな、あんたらも精一杯やってんでしょ、わかってんよ。」というメッセージを掲げている。
このあと、マイアミの同郷で2000年代にヒットを飛ばしたTrick Daddyが論争に参戦し、さらには、同じく同郷で、2026年下院議員選挙への出馬を表明している2 Live Crewのアンクル・ルースまでこの論争に参戦。インディア・アリーとは打って変わって、もともと不真面目な歌詞を歌ってきた同郷勢は、いずれもヤング・マイアミを擁護。だって、全部健全な音楽ばっかりだったら、つまんないもんね。
ヘーゲルは、自由(freedom:freiheit)と身勝手(arbiturary:Willkür)を区別しています。リベラルな現代社会のなかで自由とは、選択として理解されがちです。このことについてYuk Huiは"Machine and Sovereignty"のなかでヘーゲルのWorld Spritについて触れ次のように書いています。(私の試訳です、ご容赦を)
Yuk Huiの「Machine and Sovereignty: For a Planetary Thinking 」がオープンアクセスで公開されていることについては、前回の投稿で記載した。わたしは、というと、7つあるチャプターのうち、ようやく3つ目を読んだ。日本語で哲学をまともに学んだことがなく、おもに10代のころ政治学や国際関係論で少しかじった知識と、大人になってから学んだコミュニケーション論、教育(知るということ)の哲学をどうにか援用しながら読み進めているところ。すごく雑にシンプルに振り返るとチャプタ1,2はヘーゲルの思想と近代国家との関係を紐解きながら、organicなものと、mechanicなものの違いを整理し、これからの時代に生まれ得るplanetary thinkingはどんなものでどんな形をとるか検討してきた。私にとっては、市民社会の論考で扱ってきた個人の自由と、国家や市場とのかかわりを頼りにどうにか読めたし、器官を身体の拡張として扱うことで、さまざまな人工物を人間の進化に位置付ける考え方は、マクルーハン的というかメディア論的に飲み込みやすかった。(それを雄弁に語っているのがEarnest KappのElements of a philosophy of technology : on the evolutionary history of cultureとして紹介されていた)。文字とか思考をそっちのけで、同書をバイブスだけで読んだとしたら、Chapter 1あたりはSun Ra、Chapter 2はGeorge Clinton and Parliament-Funkadelic 、Chapter2の後半からChapter3に向かってAfrika Bambaata とSonic ForceのPlanet Rockって感じで、もうエナジーの話。
Hey @nytimes, based on the responses to this tweet, I just wanted to let you know that you would have broad & deep support from independent creators (who generally lack the capacity to litigate this kind of case) should you decide to bring action to safeguard the role of consent. https://t.co/RTSeq06WP1
最初に頭をよぎったのは、2001年のNew York Times Co. v. Tasiniだ。執筆者の組合が、ニューヨークタイムズや今のProQuest、LexusNexusを相手に著作権侵害で訴え、2001年に判決が下った。紙媒体むけに提供されたフリーランス作家の著作物について、出版社が作家の明示的な許可や報酬なしにそれらの作品を電子データベースに提供することを認められないとして、原告たちが1800万ドルの補償を得た。
上記の番組では、メリーランド大学准教授でThe Love Jones Cohort: Single and Living Alone in the Black Middle Classの著者であるDr. Kris Marshが出演し、独身が不当な目に合っていること、その背景にある社会構造を解き明かしてくれる。新しい異性と出会ったり社交が趣味というわけではないのに、いやいや婚活しているなら、そんな無理しなくても、と思っていたところ、なんだか社会構造を見つめ直すことになりまして。
Adam CurtisのドキュメンタリーCentury of Selfでは、フロイトからエドワード・バーネイズと、心理学をマーケティングに援用し、個人主義を促進することでアメリカの消費文化を作っていった様子が描かれていますが、その途中で、主婦に処方されるリチウム(鬱に処方される)の話がでてきた記憶(たしか、、)があります。
ダグラス・ラシュコフが「Survival of the Richest(邦題:デジタル生存競争)」でも触れているけど、ITで成功した金持ちが、火星に逃げようとしたり、不死を目指したり、と終末論的な視点にあること。それからその手前の富裕層も、どのESG株に投資したらいいのかしらと、良い意図でありながらも、先行きの不安から、個人主義的、後期資本主義的な価値観から逃れられず不安を極め、自分達だけでもなんとか逃れようという、もはや何言ってるんだ、というような馬鹿げたお金のかかる対策をとろうとしていることについてポッドキャストのなかでも何度も触れている。
"An advertisement will never say, 'Hey, you're enough, you're great as you are,' right? It's always going to say, 'Gosh, your teeth could be …whiter. That's a very banal example, but it's ubiquitous."
実際にしたことはないので憶測だけれど、婚活イベントにおいてはその数十人の参加者の中から、自分の価値基準(これも、その数十年にわたって、ディズニーとか、理想の家族を描いた洗剤のCMとかによってmanufactureされた)に見合う、ぐっとくる相手(ぐっとじゃなくって、なんかもうちょっとふさわしい言葉があった気がするんだけどなんっていうんだっけw忘れたw)を見つけなければいけない、数学的にめちゃめや可能性が低い気がするんだけど、ないしはアプリとか相談所とかあるんだろうけど、その成功のために、美容とか身だしなみなど、「自分」に投資し、他者を選別し、もっと良くなろうとすることだろう。まさにWhy Love HurtsでEva Illouzが示している等価値の交換としての市場のなかの恋愛。いや、良くなることはいいと思うんだけど、不安の解消を自分だけが背負い続ける感じを思い知らされる。
※ここで書かれているグローバルマジョリティという言葉について、解説が必要そうなので補足します。これまで、「マイノリティ」(人種、性的指向など)とか、people of color (有色の人種)という言葉で表されてきましたが、「グローバルマジョリティ」は、2000年代以降に生まれた新しい語です。クリティカル・レイス・スタディーズや、教育リーダーシップマネジメントの分野における研究や社会正義に対する取り組みをきっかけに、言葉・表現のあり方と意味づけについて、白人との相対的な関係のなかで自らを定義するのではなく(有色とかpeople of colorという語は、これまで、色がついている、ついていないという対比に割り当てられて、自ら位置付けたものでない、という不自由があった)、まるで大多数が西洋文化の白人で、その周縁に存在する少数派であるような表現ではなく(実際には、世界の人口の大部分は白人ではない人たちによって構成される)自ら定義したリアリティを共有したいという意図から生まれてきたのがグローバルマジョリティという力強いことばです。こういう一語一句への気遣いが、みなさん知的でいらっしゃる。そしてこう続けます。
たとえば実際にこれまで、FacebookやWhatsappを通じてデマが伝播したことによってメキシコで人が焼け死んだり、ミャンマーからロヒンギャ難民が迫害され殺されても、テクノロジー企業も、政策立案者も大した対策をとりませんでしたが、ホワイトハウス襲撃事件では大きく対応しました。自国の問題でない事柄には、どんな甚大な影響を及ぼしてしまっていようが、Section230があるもんね、っとそっぽを向いてしまう様子をRest of world問題と言ったりしますが、これ、Metaのまとめかたが雑で、業績グラフを、北米、アジア太平洋、ヨーロッパ、「その他」とその他はラテンアメリカ、中東、アフリカをまとめて残りその他扱い!していているところからきています。フランシス・ホーガン氏の暴露をきっかけにしたWSJの調査で、Facebook(Meta)が誤情報対策に費やした時間の87%がアメリカと西ヨーロッパに対してであり、つまり、その他の地域(この言い方がまた頭に来るでしょ)の誤情報対策には残りのたった13%しか注がれてないことも予てから報道されています。インドや、アフリカでも困ったことになっているのに!アメリカ国内でも、なんらかのAIが裏で入っているツールで、実害を被ってる人たちがいて、それが偏って、権力の端に置かれた人たちであることを、なんども指摘してきているのに。。。
Village women, tribal children Native language, something's missing Ripping spirit, no religion This is what we teach our children Mmm, the chapters we don't know, thеre's no ink to fill them The visions of thе soul, need Stevie to see them
さて、昨秋発売されてから注目を集めているFTのジャーナリストが書いたこの本「Homecoming: The Path to Prosperity in a Post-Global World」が話題になっていて原本は読めていないが、講演やインタビューをあっちこっちで聞いている。彼女曰く、ネオリベラリズム経済はそろそろ、お・し・ま・い。
(この動画、Q&Aセッションのクオリティが高すぎて驚く。これまでみたあらゆる名門大学での講演動画より圧倒的に質問が素敵なのでぜひ最後まで見ていただきたい。おそらく、コミュニティに根差したDCの老舗書店Politics and Proseだからこそなせる業)
もっぱら、コロナ禍に明らかに感じられるようになった中国依存による品薄、表面的なESGにかこつけたウイグル問題云々、昨今の対中の緊張関係からサプライチェーンの見直しが起きているもんだとばっかり憶測していたけれども、Homecomingはもっと前に地殻変動があって、それは例えば2013年バングラディシュで起きたラナプラザ崩壊事件(そういえばそんなことあった!)くらい遡る。さらに最近の米中間の半導体に関しては、バイデンが中国からのチップはあきまへん!ではなく中国側が自国で完結して豊かになっていきたいから、というナラティブなのも少し触れてくれている。そもそもトマス・フリードマンのフラット化について、Rana氏は、そんなの最初からなかったし、フラット化とかもう終わり、と何度も批判していて、その根拠として、同時期の別の名著「End of the Line: The Rise and Coming Fall of the Global Corporation」のほうがよっぽど的確にグローバル化とこれからを描写している、とお勧めしている。
End of the Line: The Rise and Coming Fall of the Global Corporationの著者、Barry C Lynは、モノポリーに関する本で良く知られていて、そんな彼が、2020年にWiredに寄稿しているのを見つけた。もちろんGAFA規制に関して。タイトルが、テクノユートピアの夢をシリコンバレーはまだ見ることができる、としているので、少しアンビバレントな気持ちになるが、読んでみると、ルネッサンスのチャーター制(これはラシュコフのナラティブでおなじみ、デジタル封建制度とも)と独占の話、さらには、鉄道アナロジーまで登場(これはインドでフリーベーシックスというネットの中立性と対立するFacebookの取り組みに際して私が行ったアナロジー、ほかにGig Workやプラットフォーム経済について、Danah Boydが鉄道労働史までさかのぼってくれた論文もある。)してすごく読みごたえがあります。要は、未曾有でそんなこと初めて、規制が追いつかない、どうしたらいいかわからない、なんて無力な気持ちにならず、歴史を学ぼう、という気持ちにさせてくれる寄稿で、非常に私好みでした。
番組は、Aaronについて本を執筆したJustin Petersが、"information wants to be free"―「つまり、情報はタダか?」という命題を軸に、ものすご~くわかりやすく、著作権の在り方、インターネットについて話してくれているインタビューだ。
↓この本です。
まず、有名なInformation wants to be freeについてのおさらいしよう。これは、ホールアースカタログのStewart Brandのフレーズに起因するが全文はもう少し長い、、、
"Information Wants To Be Free. Information also wants to be expensive. Information wants to be free because it has become so cheap to distribute, copy, and recombine---too cheap to meter. It wants to be expensive because it can be immeasurably valuable to the recipient. That tension will not go away. It leads to endless wrenching debate about price, copyright, 'intellectual property', the moral rightness of casual distribution, because each round of new devices makes the tension worse, not better."
面白いことに、この案だと、改正すべきは、コンピュータ詐欺と濫用に関する法律と、デジタルミレニアム著作権法になります(笑!!)しかも、雑にとらえて種別分けするとしたら、規制緩和ですね。(一方で、併せてACCESS ACT=Augmenting Compatibility and Competition by Enabling Service Switching Act、ざっくりした説明をするなら、データポータビリティを保障する法律かな。。。の立法も支持しているようだし、おおよそEFFの主張とかぶる、というかそもそもEFFの特別顧問みたいな立場でもある)
Given what we know about what FB is, I would say the best line to draw when splitting up "Facebook" is to separate the users and the content from everything else.
If we tell the world that profit over people is unacceptable on Facebook, then as the press, we should make sure that we are not trying to drive traffic to outrage-type articles, with click-bait style headlines for clicks (but we do)
さらに事態を悪くすることに、マルクス経済学から見れば、クレデンシャルを持つことがブルジョア的価値となり、資本主義を自らの中で生成する終わりなき渇望をもたす。そのうえ、大学などのなんらかの信頼付けのされた権威が発行するのなら、工場労働者が生産手段をもたないごとく、学ぶ手段とその証明を権威ある機関に依存することになる。スキルが廃れるのも、学習が足りないのも、労働者の側に責任が置かれてしまう。Shane J. Ralstonはこうした事柄を含む10つの点で、マイクロクレデンシャルがけしからん理由を述べている。
Shane J. Ralstonの指摘には、大学事務が合理化、効率化を目指す中で、私企業と同じ方策を取ってきたことにあり、その一つがUnbundling(個別に分解すること)、もう一つがサービス化であるとしている。学位より単位よりもさらに小さなまとまりとして、マイクロクレデンシャル発行プログラムを設置するのはまさにunbundlingの現れ。チャンクダウンすること自体になんら問題ないと私は思うのだけれど、教育学、思想的にそれをひも解くと、全体無き部分の提供に自らを格下げしてしまうことにほかならない。
Technicians often lack a sufficiently wide-ranging or general (Liberal Arts) education to
appreciate the limits of their own knowledge—or stated differently, the extent of their
own ignorance. Thus, tech entrepreneurs such as Mark Zuckerberg, Elon Musk, and
Bill Gates are often too willing to position themselves as authorities in fields where they
lack expertise (e.g. concerning world poverty, global climate change and, most recently,
epidemiology).
The Program on Democracy and the Internet at Stanford University convened a working group in January 2020 to consider the scale, scope, and power exhibited by the digital platforms, study the potential harms they cause, and, if appropriate, recommend remedial policies....
In theory it could, but the way FF describes it is entirely focused on companies "owning" the middleware and doesn't seem to have any conception of open APIs or protocols run by standards bodies/etc.
This is true. And one effective form of information-sharing would be legally mandated open application programming interfaces for social media platforms. They would help the public identify what is being delivered by social media algorithms, and thus help protect our democracy...
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