2021年7月1日木曜日

Argument for Micro-Credentials ゾンビとの戦い、再び。

 ここ数年から、教育のオープン化、その延長線上でのデジタルクレデンシャルについて調べてきたのだが、ここにきて、昔の敵がまためぐってきた。


ネオリベラリズムだ。


お前が出てこないレイヤーに私はシフトしたはずだったのだぞ。だいたいややこしいんだよ君は。なぜまたここにいるんだ。


かつて、奴を倒すことはできなかったし、誰にもそれは無理だった。一部、功を奏したのはパロディと、実直な現代思想だろうか、わたしの猫パンチでは、あまりに無力だし、圧倒的に手がかかる。しかし、また巡り合ったのはしょうがない宿敵だ。

 
マイクロクレデンシャルも奴に囚われているのだとあるものがいう。おおよそそのとおり。公的資金を絶たれたアメリカの高等教育機関は、競争原理の中の生存戦略として産業界、シリコンバレーと手を組み、雇用主が求めるスキルを身に付けるような短い講座を多くの場合eラーニング等のスケール可能な手段で提供し、その学習成果としてのマイクロクレデンシャルを付与することにした。それは、学ぶことで最新の市場価値を持つスキルが得られるようでいて、必ずや廃れることが予期できる予定調和のなかに存在する。そのうえ、雇用主が求めるスキルというのは、世の中に変革をもたらす知ではなく、基本的に現状維持機能しかもたない。知は、本来人間を自由にするはずのものだったにもかかわらず。ここで予見される未来は、学べども、学べども、我が暮らし楽にならず、だ。


さらに事態を悪くすることに、マルクス経済学から見れば、クレデンシャルを持つことがブルジョア的価値となり、資本主義を自らの中で生成する終わりなき渇望をもたす。そのうえ、大学などのなんらかの信頼付けのされた権威が発行するのなら、工場労働者が生産手段をもたないごとく、学ぶ手段とその証明を権威ある機関に依存することになる。スキルが廃れるのも、学習が足りないのも、労働者の側に責任が置かれてしまう。Shane J. Ralstonはこうした事柄を含む10つの点で、マイクロクレデンシャルがけしからん理由を述べている。

知識のバラバラ殺人事件

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Shane J. Ralstonの指摘には、大学事務が合理化、効率化を目指す中で、私企業と同じ方策を取ってきたことにあり、その一つがUnbundling(個別に分解すること)、もう一つがサービス化であるとしている。学位より単位よりもさらに小さなまとまりとして、マイクロクレデンシャル発行プログラムを設置するのはまさにunbundlingの現れ。チャンクダウンすること自体になんら問題ないと私は思うのだけれど、教育学、思想的にそれをひも解くと、全体無き部分の提供に自らを格下げしてしまうことにほかならない。

知というもっと複雑で捉えどころのない、産業界で直接的な有益性を示さない、そんな全体性をもった学びをになったはずの高等教育が、急遽、プログラミングブートキャンプ程度だけのものになってしまうとしたら、事件だ。元来マイクロクレデンシャルはスタッカブル(積み上げ可能)なのだが、これが本当にそうだとしたら、実際には積み上げていっても、全体像をもたなくなってしまう。

古い宿敵が難題であるだけでなく、そこに刃向かう剣があの時研ぎそびれたままのものだという点でも辛み。

Leesa WheelahanとGavin Moodieは、高等教育のマイクロクレデンシャルについてバジル・バーンステイン的分析を通して批判していく。フレーミングだとかコーディング(言語コードのほうです)というメディア論っぽい言葉尻が続く中、基本的にはカリキュラム設計上の問題点があげられていく。(クレデンシャルの話なのになぜ?ってなるけどそこにはヒューマンキャピタル~人材は資本です~という考え方を色濃く反映してしまっている点との関係性でひも解かれる)ここでも、atomizationという語で、学習の原子化のことが触れられている点で、先ほどのunbundlingと共通する。


結局、読み進めていくと教育たるものは何かという話になってきて勘弁してもらいたくなるが崇高かつ真っ当な批判。そして教育のナラティブが、非常にネオリベに偏っていて、教育たるものを考える術が判然としないまま語られてしまっている問題を明らかにしている。前述は、カリキュラムやペダゴジーの問題がごっちゃになっていることの問題。

UNESCOのバックグラウンドペーパーは、そこのごっちゃになったものを、真っ向から批判している。そもそも貧困とか失業とかの問題を教育で解決できるというのは誤りで、政治経済上の政策をやったうえで教育を扱うべきならわかるが、政治経済上無策なくせに、教育に解決させようというのがけしからん。その解決策としてマイクロクレデンシャルに目を向けてる流れがけしからん。と。先にもカリキュラム上の問題が言及されていが、こちらでも21世紀スキルとか本質的じゃないんだよ!という突っ込みが入っている。労働市場上の問題が解決されないまま、マイクロクレデンシャルが進むと、資格のインフレがおきる、とまで指摘。そして極めつけは、失業を引き起こしているのはテクノロジーの入れ方の問題であるとし、短期利益追求型の自由主義的な能力主義的資本主義(長い・・・)の中で、技術ある職人をクビにして、その分AIでオートメーションさせるというコストカット手段としてテクノロジーを入れているところが諸悪の根源なのである。(反対に、ドイツでは職人の技能を高める形でのテクノロジーを導入した例があり、技術の進展と市場の在り方は不可避ではない、と捉える)そのくせに、テクノロジー企業が失業や貧困の解決を謳って、教育商材に乗り出すのは、ふざけているぞ、と。なんならイノベーションはシリコンバレーじゃなく、良く調べてみるとアメリカ軍需産業という機関が長期的な取り組みで生んでいるのだし、教育機関を堅牢にしていくことが教育のあるべき姿を高められる、と。え、守り・・・?

これを踏まえてまた、Shane J. Ralstonにもどってくるとこの部分が非常に刺さる。

Technicians often lack a sufficiently wide-ranging or general (Liberal Arts) education to appreciate the limits of their own knowledge—or stated differently, the extent of their own ignorance. Thus, tech entrepreneurs such as Mark Zuckerberg, Elon Musk, and Bill Gates are often too willing to position themselves as authorities in fields where they lack expertise (e.g. concerning world poverty, global climate change and, most recently, epidemiology).

技術が実装できるからといって、リベラルアーツを最後まで学びそびれたこの人たちは、自分の専門外のこともわかると勘違いしている、と心地よいほどざっくり。

21世紀スキルがどのくらいまがい物なのか、ということはさておき(わたしには、一見良さそうに見える)、クレデンシャルがデジタル化され、冒頭のビデオのような世界になる「学習経済」は、直感的に気持ち悪い。


ただし、これらの批判には機械叩きな感じを自認する面もかなり残るので、もう少し落ち着いて考えるべきこととしては

  • マイクロクレデンシャルは、あくまで学位と共存する主旨で、部分的な学位に担えないことを実現するためだけに限定的に利用するはず
  • クレデンシャルがスキルを相互参照可能なものとして実装すれば、偏差値とか学歴を尺度にしてしまっている現状を打破できる可能性も技術的には充分ある
  • 認定の権威や作業のガバナンスがどのように可能か、ウェーバー的ないしはマルクス的に捉えた場合の懸念が、学習認定のオープン化(Opening up validation)をした場合、解消できる可能性について触れられていないし、これは技術的にある程度可能性がある

なんだろう、いったいどうすればよかったんだろう。
Wissenschaft als Beruf(職業としての科学)でウェーバーはこう語っていた。

残された、本質的に増大しつつある要素は、大学での職に独特なものです。つまり、そのような私講師、あるいはなおさら助手が、晴れて正教授の地位かあるいはさらに研究所の長につけるかどうかという問題です。これは単純に運です。もちろん、偶然のみがすべてを支配するわけではありませんが、それでも偶然が尋常ならざる支配力をもつことは確かです。


それも、やだな。 

2021年3月19日金曜日

ミドルウェアはテックから民主主義を取り戻すか

珍しく、Foreign Affairsから。フランシス・フクヤマ(The End of Historyの人)や何人かスタンフォードのグループが、寡占テック産業がどのように民主主義の脅威となるか説明する記事を公開した。 

Foreign Affairs ビッグテックが民主主義を脅す

ビッグテックが民主主義を脅かす―― 情報の独占と操作を阻止するには ――フランシス・フクヤマ  スタンフォード大学 フリーマン・スポグリ国際研究所シニアフェロー バラク・リッチマン  デューク大学法科大学院教授、経営学教授 アシシュ・ゴエル  スタンフォード大学教授(経営科学)...

ここ数年英語圏では、テクノロジー企業が様々なコントロールパワーを持っていることへの批判が増大し、「テックラッシュ(techlash)」と呼ばれるテクノロジー企業の台頭へのバックラッシュを意味する造語が生まれた。同時に、巨大な力を持つプラットフォーム企業はGAFAという四文字となって、GAFAに対する批評がIT専門誌だけでなく、AtlanticやSalonなど現代文芸系の媒体で展開されてきた。こういう流れの中で、フランシス・フクヤマのような著名な政治経済学者が、民主主義の脅威という文脈でテクノロジー企業の寡占とその対策について執筆するのは自然だ。

記事の元となったのは、フランシス・フクヤマらによるスタンフォードの「プラットフォーム・スケール」ワーキンググループのホワイトペーパーだ。

Stanford Cyber Policy Center | Report of the Working Group on Platform Scale

The Program on Democracy and the Internet at Stanford University convened a working group in January 2020 to consider the scale, scope, and power exhibited by the digital platforms, study the potential harms they cause, and, if appropriate, recommend remedial policies....

Foreign Affairsの記事では、アメリカが直面する巨大テック企業がいかに民主主義を脅しているか、その脅威に気づいた規制当局がここ数年になって訴訟を起こしていること、こうした規制の強化は、テクノロジーの進化のペースにあまり効果を持たないこと、イノベーションの余地を残そうと解体してもまた同じようなことが起こること、と既存の取り組みの方向性が不十分であることをわかりやすく示している。これについてはその通りだと思う。

そして提案するのが、「ミドルウェア」なのである。
Image: Francis Fukuyama, Barak Richman, Ashish Goel,Roberta R. Katz, A. Douglas Melamed,Marietje Schaake,"REPORTOF THE WORKING GROUPON PLATFORM SCALE", STANFORD UNIVERSITY



雑に説明すると、プラットフォームとユーザの間にミドルウェアをかましましょう、それによってユーザが主体的に意思決定ができる、ないしはミドルウェアは機能として信頼性の高い情報をラベリングする、などというものだそうである。正直申し上げてシステムの絵としてしっくりこないのだが、ひとまず記事の描くミドルウェアを私の解釈に基づいて説明するとすればつぎのようなものがあると考えられる;

①プラットフォーム企業がミドルウェアを提供する。
ミドルウェアが情報に適切なラベル付けをする(例えば未検証情報のラベルをつけるなど)ことで、ユーザはミドルウェアを通じて信頼度の高い情報を入手できる。

②独立したミドルウェア提供会社がミドルウェアサービスを提供する。
ユーザの志向に合わせて、GAFAのコンテンツの上位に表示されるアイテムの重みを変動させるミドルウェアを提供する。例えば、国産のエコな商品だけを上位に表示させるなど。

③学校や非営利機関がミドルウェアを提供する。
地域の教育委員会が地域の出来事に比重を置いた結果を表示させるミドルウェアを提供するなどの例が考えらる。

①~③のいずれのパターンであっても、実現するうえで満たさなければいけない次のような要件があると考えられている。
  • まず、ミドルウェア提供側が技術的な透明性を持たなければならない。
  • またミドルウェア提供側が巨大な力を持つプラットフォーム上の別レイヤーとならないような仕組みが必要である。 
  • また、政策面ではプラットフォーム企業がAPIを提供するように義務付けなければいけない。 
  • さらに、ミドルウェアの健全な市場競争のために、プラットフォームへのアクセスによってミドルウェアにその収益の一部が入るようにしなければならない。(つまり、GAFAの利益をミドルウェアとシェアする)その共益がまともな関係になるよう政府が監督する。
正直、夢物語のように聞こえる。

この記事への反応をみると、テクノロジーによる民主主義への脅威や寡占問題の本質を詳細に定義していると評価するコメントが目立った。一方で、「ミドルウェア」という技術的な解決策については、あまりコメントがなかった。どうしてゆめっ物語のように聞こえるかというと、かつてミドルウェアのようなサービスがあったような気がするんだけど、GAFAにつぶされたんじゃなかったっけ?

その記憶を少したどってみよう。

そうでした、そんなようなサービスありました。
(ミドルウェアではなくサードパーティでしたが)

記憶①FriendFeed(その後Facebookが買収)
いろんなソーシャルメディアのフィードを一度に見れるサービスだった。Facebookに買収されてサービスは停止した。
@akihitoさんのブログの画像をお借りしています

記憶②Power.com

2008年頃にあったブラジル発のソーシャルメディアのアグリゲーションサービス。プラットフォームを跨ってコミュニケーションできるツールだった。が、著作権侵害等でFacebookに訴えられる。Power.com側はFacebookを外したが、裁判中にサービス終了。

記憶③Meebo(Googleが買収)
いろんなプラットフォームを跨いでチャット・メッセージができたが、のちにGoogleが買収してサービス終了


記事は決してサードパーティーサービスを指しているのではなくミドルウェアを指しているので、この記憶というのは直接記事に疑いをかける論点にはならないが、どうもミドルウェア解決案が腑に落ちない・・・。

記事中のミドルウェアは、オープンAPIのことを指しているのだろうか、と読んでいる最中に思った。しかし、ホワイトペーパーのほうにもオープンAPIによる解決策というような視点は出てこない。あくまで、プラットフォームのAPIを使う、なんらかの主体が提供するミドルウェアのようである。

そこに私はますます困惑。そもそもAPIを義務付けるぐらいなら、一層のこと相互運用性とオープンAPIを義務付ければプラットフォーム企業と共益関係を結ぶミドルウェア企業を制御しなくてもいいのでは・・・。

このあたりの理解を悩んでいたところ、TechdirtのMike Masonicが明確な指摘をツイートしていました。

ちょっと、安心。

フランシスフクヤマの指すのミドルウェアとはちょっと違うけれども、ユーザが選択するというような意味あいでは、元FCCのTom Wheelerが支持するOpen APIの形があるのを思い出した。これ聞いたのけっこう前だぞ・・・。

 

How to Monitor Fake News |Opinion NYT Tom Wheeler

This is true. And one effective form of information-sharing would be legally mandated open application programming interfaces for social media platforms. They would help the public identify what is being delivered by social media algorithms, and thus help protect our democracy...


しかし、Tom Wheelerさん、最近では、プラットフォーム規制監督庁(DPA)をつくるのがよい、というようなことも言っているようである。え・・・。


もう少し、テック企業のモノポリーについて、暗くならないように考えてみたいのだけど、いろいろてんこ盛りなので、次回に。

2020年6月8日月曜日

イタリアとCOVID19陽性接触者アプリ #MoneyLab8 (前半)

スロベニアにある非営利の文化機関であるAksiomaが主催しているMoneyLabというカンファレンスがとても面白いので紹介します。

Aksiomaはクリティカルな視座から新しいメディアアートや倫理等について学際的に研究・実践する取組を行っています。そのプロジェクトの一つであるMoneyLabは「お金」という切り口から社会を根底から考え直すカンファレンスです。今年のMoneyLabは約1か月にわたり毎週バーチャルに開催しているので、毎週リアルタイムに(または事後の動画)を視聴することができます。

MoneyLab #8

SHARE IDEAS, COMMENTS, QUESTIONS 👇🏿 OPEN CHAT IN NEW WINDOW The next appointment with the MoneyLab #8 streaming series is set for Monday, 1 June at 5 PM CET. The panel Care: Solidarity is Disobedience foresees the participation of Tomislav Medak as representative of the Pirate.Care research project, which focuses on autonomous responses to the...


なぜマネーなのか、というと公平な社会をつくり出すためのディスコースとして、欧州では非常にインパクトの強かったタックスヘイブンという社会問題を含みつつ、暗号通貨やキャッシュレス、グローバル金融システムなどについてアーティストや技術者、アクティビストらとともに検討するという目的意識からです。タックスヘイブンの問題は、日本ではスノーデンの暴露と同様に過少に見過ごされてしまった社会的問題のひとつですね・・・。タックスヘイブン問題が欧州で意識されるのは、日頃の文芸・哲学系の研究者のさかんな議論と欧州の芸術・学術研究支援の助成金の成果だと個人的には感じます。いわゆる”ボーダースタディ”という領域があって、以前から国境、境界という概念について議論・検討がなされていたからこそ、パナマ文書がでてきたときに、その哲学的示唆をより深く考察できています。

さて、今回は「データ主権(data soverignty)と接触記録(Proximity Tracing)」をテーマにスロベニアで活動するNGO Citizen DのCEOであるDomen Savičさんが、イタリア南部にいるJeromiの通称で知られるDenis Roioさん(フリーソフトウェアを創造する非営利組織のDYNE.ORGの設立者でEUのDECODEプロジェクトのCTO)へインタビューするもの。Jeromiは開発者でありながら、社会正義や倫理について強い意識を持っていることで知られています。Jeromiの発言が、すごく本質的で私の問題意識をうまく表現してくれているので救われます。

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インタビューが始まるとDomenはこう口火を切ります。
「ジェロミーにぜひ聞きたい。COVID19パンデミック以来、いつパンデミックの世界を救ってくれるアプリが登場するのか、ボタンで解決できるようななんらかの技術、またそういった問題についてどう思われますか?」

//ちょっとある意味でエフゲニー・モロゾフの本CLICK HERE TO SAVE EVERYTHINGを彷彿とさせる 問いですね。

この問いに対してジェロミーは「簡潔に答えるとどんなアプリが現れようとも私たちが現在直面している問題を解決できません。なんでそんな問いから始めるんでしょう」ときっぱり。そして次のように補足します。「まずは問題の定義から始めましょう。今起きていることは、あらゆるやりとり(interaction)において媒介(mediation)が増大していることです。」

媒介(mediation)とその増大というフレームから社会を捉える、というのはまさにメディアコミュニケーション研究の根っこの部分。

「デジタル技術の発展による媒介の増大は、新たなコミュニケーションの形やアートを生み出しています。媒介するということは、人間の表現、思想、コミュニケーションになんらかの第三者※の側面が介入し、場合によっては所謂『ミドルマン』となってそのコミュニケーションに対し盗聴、追加、削除、逸脱することがあります。」
「ほかのメディアのことを思い出してください。例えば電話、メール、写真。それぞれ良い点、悪い点をもたらしました。それぞれが人々の認識をどう変えたか。」

そしてさらに、哲学者ヴィレム・フルッサーの理論を踏まえ、次のようにコメントしています。(本気で理解したいと、ここここが参考になるかと)
「フルッサーが予見したようなテクノイメージの置かれる状況、つまりテクノイメージがリアリティに先行し、テクノイメージがその後を作る、ということは、まさに今我々が困っているフェイクニュース問題に相当すると考えられます。画像や音声の合成(synthesis)によるCovid19にまつわる陰謀論の拡散などは見事にフルッサーの理論が言い当たっているのではないでしょうか。」
「またデータビジュアライゼーションはテクノイメージの創造であると捉えることができるとすれば、データビジュアライゼーションもまた、リアリティを定義し説明するもので、やり様によっては、真実を隠したり明らかにすることになるので、どうデータを使うかが重要。」

さて、ようやく接触アプリの話に移ります。ジェロミーは、接触アプリが果たすべき役割は、あくまで個人が自身のリスクアセスメントをし、それに基づいて意思決定することであるとしています。SARS-COV2は、無症状の潜伏期間が長く、その期間中に接触したことを知ることができれば、個人がよりよい判断(自己隔離をしたり、その期間に接触した友人や家族にリスクを伝える)をすることができる、という前提からです。これに対し、接触アプリの悪い例は、トップダウンで、個人をトラッキングし、リスク評価をされる(リスク評価をするのは個人ではなく、上意下達的にモニタリングする側)ようなケースだとしています。あるべき姿はプライベートなアプリであり、自分に関するデータが他者によって集積され、そのことが自分にはわからないような状態であれば問題のあるアプリになってしまう、と述べています。

2020年5月18日月曜日

自警団とアプリ(自粛ポリス考 その2)

自粛ポリス考その1では、パンデミックによる不安・ストレスと、インターネット利用時間が増えデータ(ニュースやSNSでの情報)との付き合いが多くなっていく中、Web2.0以前から指摘されてきたヘイトやデマの問題に加え、より効率的に最適化された近年のアルゴリズム等によって拍車がかかっていくこと、その背景にる広告ビジネスモデルについて目を向けてみました。

考えてみるとインターネット以前においても、デマとヘイト・人種差別と私刑行為はいつもタッグを組んで厭うべき対象を共有し、排斥行為を繰り返してきました。私刑行為の正当化はほとんどの場合、不安の中、デマや誤情報が拡散されヘイトの対象となるグループにより命の危険にされるとして自身や家族(特に女性や子供)を守るためとして自警団を組織していきます。

銃の所有が容認されている米国ではボランティアでパトロールを行う自警団員が、丸腰の少年を結果的に銃殺してしまったケースがありその背景として世間からは人種差別が指摘されました。さらに古くは検証済みでないデマが発端となり自警団の行動が大量虐殺を引き起こした100年前のケースなど、挙げればきりがありません。ヘイトの被害にあうのは、特定のグループに属する人種に限定されず、実際にはその特定グループ以外の人々も被害が及びます。

'Watchmen' revived it. But the history of the 1921 Tulsa race massacre was nearly lost

The explosive opening in the first episode of HBO's "Watchmen," with citizens of a black Tulsa, Okla., neighborhood being gunned down by white vigilantes, black businesses deliberately burned and even aerial attacks, has brought new attention to the nearly buried history of what the Oklahoma Historical Society calls "the single worst incident of racial violence in American history."

日本においても不安やストレスが強い環境において特定のグループへのヘイトが高まり、ヘイトの対象と同一視され殺害されてしまった歴史もあります。自粛ポリスをインターネットのせいだ、として悪者扱いしても(というかインターネットを相手にしても・・・)何の糸口にもなりません。自粛ポリス考その1で書いたように、サイバースペースの問題と物理世界の問題をそれぞれ別の問題として断絶させてしまう事態が続かないよう包括的なアプローチが必要です。

パンデミックにおけるテクノロジーへのまなざしも分断しています。情報の加工や収集、拡散が容易になったことでインフォデミックが起こり、その原因として予てから指摘されてきたリテラシー教育の不十分さや、プラットフォームの推薦アルゴリズムどを問題視する声も生まれます。一方で、感染拡大の防止にテクノロジーが打開策を提供してくれるだろうとして、データの集積やGPS等に希望を見出すものもいます。

人間の尊い命を奪うウイルスによる未曽有の事態においてテクノロジーとどう向き合い、取り組むべきなのか。このブログでも過去に何度か参照し、テクノロジーの解決主義(Solutionism)批判で知られるEvegeny Morozoffは、今般もガーディアン紙に「パンデミックを”IT政策”で乗り切るのは大間違い」と寄せています。相手が未知のウイルスであっても、教訓となる事柄は充分にあると考えます。同様に過去に参照したユヴァル・ノア・ハラリは「パンデミックよりも恐ろしいのは人間のヘイト、欲、無知」だとし、さらに個人データ収集については「市民への監視が進むのであれば、政府への監視も併せて強めなければならない」と話しています。


私が思い出したのは、過去に国内で議論を巻き起こしたテクノロジーによる浅はかな解決主義に対する批判です。日本のGoogleによるインパクトチャレンジという社会課題解決にICTを使うビジネスコンテストで、あるNPOが起案した「GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」が、ホームレスの当事者支援団体などにより批判を浴びました。突っ込みどころが多すぎるから詳しくは書きませんが、先に触れたパトロールや不安と差別、ヘイトなど様々な問題を含有します。善意が、意図せずこういう方向に向かってしまうのは残念と思うとともに、では何を理解しておくべきだったのか、というと大学の講義で体系だって教わることでもないのかもしれないので、想像しようもなかったのかもと思うと、どのような手立てでこうしたことが防げるのかな、というのが私にとってテーマでもあります。

NPO法人Homedoor「CRIMELESS(GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」への批判

Googleインパクトチャレンジ受賞『CRIMELESS(GPS による治安維持とホームレス雇用の両立)』の問題点 参考:「日本におけるGoogleインパクトチャレンジ」のグランプリを受賞した事業「CRIMELESS」についての意見書 http://lluvia.tea-nifty.com/homelesssogosodan/2015/03/googlecrimeless.html

テクノロジーをどう利用するのか、政治とデータの関係は一層密を極めています。個人がデータの行きつく先について理解せずともテクノロジーの利用は増える一方です。最近ではトランプ陣営が新たなアプリをリリースし話題になっています。これに対し、シンクタンクのTactical Technology Collectiveは、「キャンペーンアプリは同じ考えを持つユーザを集めるので、思想的多様性が避けられてしまい一層フィルターバブルやコンファメーションバイアスを強化するリスクがある.  」と警鐘を鳴らしています。

また最近になって、トランプ陣営が勝利したのは単に他の候補者よりもFacebookに莫大な広告費をかけ、Facebook広告が算出した最適化された広告を活用したことが勝因になったのでは(つまりキャンペーンマネージャーという人間による戦略的に案を練って低コストで最適な効果を得る広告を作るという意思決定ではなく、Facebook広告に内在する計算機が導いた)との分析も改めて注目されています。そして政治的キャンペーン、選挙活動としてトランプ陣営はパンデミックを利用し、憎悪を増幅させるキャンペーンを展開しています。
画像:https://www.anotheracronym.orgによる選挙広告に関する分析記事


 問題は、こうした憎悪は特定のグループに作用するだけでなく、ひいてはそれ以外の人々にも被害をもたらします。パンデミックをもたらしたウイルスを裁いたりリンチしたりできないフラストレーションが、さらなる憎悪や分断を生むなか、過去の教訓に学びながらテクノロジーへのバランスの取れた視座を得ようと試みることが必要なのではないでしょうか。

2020年5月14日木曜日

パンデミック、インフォデミック(自粛ポリス考その1)

緊急事態宣言で外出自粛が続く中、日本では「自粛ポリス」が問題になっています。今回は、自粛ポリス考(その1)として、その背景にある個人情報晒し(Doxxing)やヘイト、誤情報の関係について考えてみたいと思います。

他県ナンバー狩り、ネットで中傷...暴走する"自粛ポリス" | 2ページ目

「自粛警察」の事例 「自粛」とどう向き合うか 感染不安...他人にぶつけてカタルシス  休業要請の有無にかかわらず営業する店舗を非難したり、外出する人々をインターネット上で"告発"したり-。会員制 交流サイト (SNS)で「自粛警察(ポリス)」と呼ばれる動きによって、人権侵害につながるケースも生じている。 ...
自粛ポリスとは、外出や営業をする他者の行動に対してネット上で非難し個人攻撃することによって取り締まろうとする私刑行為と捉えればよいでしょう。今般のパンデミック以前からネット上で気にくわない他者に対して個人情報を晒すなどの嫌がらせをすることで自分の思う正義を果たそうとしてしまうネット私刑が定期的に表面化し問題となってきました。

加速するネットリンチの残酷、住所など個人情報晒しは法律的に「アウト」

10月に発覚した神戸市の教員間いじめ・暴行事件。加害者とされる教員たちの実名はもちろん、住所や家族の名前、職業などがネットで晒されている。個人情報を安易にネット上に書き込んでしまうネットユーザーたちが増えているからだ。しかし、こうした行動の多くは、法律的には「アウト」である。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎) ...
こうしたネット私刑の問題は今に始まったことでもなければ、日本人特有の問題ではありません。ネットでの個人情報を晒す行為は、英語で"dox"と呼ばれています。情報を専門的に扱うプロフェッショナルである記者を囲うニューヨークタイムズは、情報セキュリティ研修の一環としてdoxxingの慣行から記者を守る方法を教え、その教材を公開しています。

How to Dox Yourself on the Internet

By Kristen Kozinski and Neena Kapur No one wants their home address on the internet. That is personal information we typically only give out to friends, family and maybe our favorite online stores. Yet, for many of us, that information is available and accessible to anyone with an internet connection.
ネット中傷の歴史を遡れば、1999年のスマイリーキクチ中傷被害事件も有名です。これには、ネットでの個人への行き過ぎた中傷とデマが横行することで相乗的に悪い影響をもたらした事例ですが、近年はSNSの特定のユーザにはより好ましい情報だけを提供するようなアルゴリズムなどがより効果的に作用しフィルターバブルを作ることでサイバーカスケードが一層起こりやすくなり、フェイクニュース問題が生まれ、世界的にデマや意見の先鋭化の温床となっています。

COVID19のパンデミックに際しては、感染症に加えて誤情報が蔓延する危機的な事態「インフォデミック」への懸念から、誤情報への対策が声高に叫ばれてきましたが、誤情報対策だけではなく「ヘイト」対策の視点が重要だと私は思います。

今のような形のSNSが一般化する以前、ヘイトの拡散に影響力を持つ主体はマスメディアで、日本は国連自主差別撤廃委員会から2010年の勧告(日本語PDF)で次のような指摘を受けていました。

26.人権相談窓ロの設置や人権教育や促進など締約国によってとられた人種的偏見をなくすための措置に留意しながら、委員会はメディアに関して、そしてテレビやラジオ番組への人権の取リ込みに関して具体的な情報が欠如していることに懸念をもち続ける(第7条)。 委員会は締約国が、人種差別撤廃を目的として、寛容および尊重の教育目的を取り入れながら、日本国籍者および非日本国籍者双方の社会的に弱い立場にある集団に関する問題が、適切にメディアで表現されることを保障する公教育および啓発キャンペーンを強化するよう勧告する。委員会はまた、締約国が、人権教育の向上におけるメディアの役割に特に注意を払い、メディアや報道における人種差別につながる人種的偏見に対する措置を強化することを勧告する。加えて、ジヤーナリストやメディア部門で働く人びとに人種差別に関する意識を向上させるための教育および研修を勧告する。
またインターネット上のヘイトに関連する事項では
13.締約国が提供した説明に留意しつつも、委員会は条約第4条(a)(b)の留保を懸念する。委員会はまた、韓国・朝鮮学校に通う子どもたちなどの集団に向けられる露骨で粗野な発言と行動の相次ぐ事件と、特に部落民に向けられたインターネット上の有害で人種差別的な表現と攻撃に懸念をもって留意する。
この勧告と事態の発展からその後2014年以降の日本のヘイトスピーチ規制への流れへ向かっていきます。この時点ではヘイトスピーチ規制はあくまでエスニックマイノリティなど特定の集団を攻撃から保護・救済するというような受け取られ方が中心的だったように思いますが、もっと本質的な懸念は、この特定の集団というのがいつ自分の所属する集団と同義になるやもしれない、という点です。定義としてヘイトスピーチやヘイトクライムは弱い立場にある特定集団に限定されていますが、ヘイト行そのものが拡散する原理は、ヘイトの対象に限らず同じ環境にあります。かつてインターネット上の問題はインターネット上の問題(としてとどまる)、と捉えられていた時期がありましたが、Web2.0以降から徐々にシフトし、それは現実社会にも害をもたらすので合算して取り組まなければいけない(つまりインターネットの安心安全を扱うものと、例えば実際の人権問題を扱うもの、とが合同で取り組まなければならない課題)という課題意識が共有されてきています。それでも、取り組む当局および市民社会の体制としてはその二者がいまだ断絶しているケースも少なくないように感じられます。

前置きが恐ろしく長くなりましたが、今回の自粛ポリス、というのもデマとヘイトが手を結んで大きな力をネットから飛び出して現実社会へ影響をもたらしてきている延長です。かつてメディアではヘイトの拡散の防止の措置として、記者やメディアで働く人々への教育や研修が有効な手段として提言されていたという過去を振り返ることができます。このことは、誰でも情報発信できるようになった今、ネットメディアやユーザへの教育に期待されるものと捉えられます。

さらにメディア批評の過去を振り返ると、専門集団であってもマスコミが誤報や中傷を拡散してしまった経緯としてそのビジネスモデルや構造が指摘されていました。商業メディアにとってはセンセーショナルであればウケる、感情的で扇動的であれば部数が伸びる、視聴率を武器に広告収入を得る、スクープをとれば賞をもらえたり昇進できる、というような点です。こうした構造的な問題は、広義での広告収入で成り立つネットメディアも引き継いでいます。ではこれについてどうすればいいのか。

センセーショナルであることで知られるイギリスのタブロイド紙が流布するヘイトに対抗しようと2016年に始まったキャンペーンの母体となるStop Funding Hateは、デジタル広告を出稿する企業が道徳的に広告出稿先を選ぶべき、と取り組んでいます。具体的には、タブロイド紙のヘイト記事のモニタリングや、ヘイトを増幅させるような見出し(いわゆるクリックベイト clickbait)をつける媒体へ広告を出す企業への抗議や不買運動のような取組です。下記のリンクでは、今回のパンデミックにおいてもタブロイド紙が、移民や特定の宗教を信じる人々に対して誤った情報からセンセーショナルな記事を誤報発覚後も掲載し続け広告収入を得てていることや、恐怖や不安に取り組んで陰謀論を展開するYoutube動画が広告収入を得ていることなどを指摘しています。この取組の興味深い点は、一般に誤情報やヘイトの拡散の問題についてはSNSなどのプラットフォームが原因として注視されがちであるのに対し、Stop Funding Hateは、原因追及の矛先をプラットフォームではなく広告(または広告主)に向けているという点です。そして、ユーザが自分の好きな企業の広告が危うい誤情報記事に掲載されていたのなら、広告主に知らせてあげましょう、と呼び掛けています。

The drive for clicks: The coronavirus, misinformation and digital advertising

Online media and digital advertising go hand in hand. Media companies need advertising to make money, so they write articles that get as many clicks as possible. This often means sensationalism, the use of fear and, sometimes, using hate. And sadly, this doesn't change in times of a global pandemic.

ただネット広告の仕組みは多くの場合、技術的に非常に複雑・高度で、具体的にどのようなコンテンツに広告が掲載されるか広告主には自明ではありません(たとえばRTB)。だから、Stop Funding Hateがいくら広告主に知らせたところで「広告主が目視で選別したわけじゃない、そういうアドテクだから仕方がない」と言われればそこまでのような気もします。おそらく媒体のモニタリング活動と併せて行うことで、特定のタブロイド紙には広告出すな、とし、こうした意識を広めることで、媒体そのものが利益のためにはヘイトや偏見を流布しないほうがよい(そうしないと広告が入らない)、と判断してくれる旗振りしていくことは(頑張れば)できるでしょうが、アドネットワークの仕組みを考えるとずいぶん限定的な効果しかもたらさないような気もします。(というかユーザ側もそういうネット広告はスキップ、スクロールしちゃうからなんの広告が出てたか記憶さえしてなよね?!レイバンくらい!?あとコメントボックスとかでヘイトが展開されたらそれも?)

余談ですが広告の話になってきて、なんだかぶり返すものがありますよね。―漫画村です。

「望んで広告を出しているものではない」 海賊サイト広告問題、出稿していた大手企業の言い分は

海賊版サイトの主な資金源となっていた「広告主」が問題になっている件で、ねとらぼ編集部は海賊版動画サイト「MioMio」に広告を表示していた企業に取材しました。なお取材との関連性は不明ですが、編集部が取材した翌日、当該部分の広告枠が削除されたのを確認しています(また時を同じくして、動画の再生ページ自体も削除され、現在は動画が見られない状態となってます)。 ...

誤情報の拡散を断ち切るには、なんらかの法律でもって当局による規制をするか、業界団体などによる自主規定(そういえばその後どうなったのかな)、媒体やプラットフォーム企業が自らを律する、もしくは一般ユーザの教育啓蒙などが常套手段のようですが、今回パンデミックに際しては、ネットの問題と実際社会で起きていることをあわせて考える必要があることをより一層明らかにしているように思います。

自粛ポリスのような過剰な個人攻撃が増えたり、炎上案件がでてきたりするのには、パンデミックの影響で人との接点が減り、ネットを利用する機会や時間が急激に増え、パンデミックの不安やストレスを抱え、やり場のない気持ちを、ネットで得た正しくない情報やな知識を根拠に、自分より非難されるのが妥当であると考える相手に向けてしまっていることがあります。逆に言えば、パンデミック以前にヘイトクライムやネットの言説を真に受けて犯罪手前に向かってしまった人たちは、そういう環境にあった。たとえ、規制をしていってクリーンなインターネットを一時的につくったとしても、現実世界に救いがなく荒れたままなら、いたちごっこのような気がします。(なんだかヒップホップVSアメリカ論争を思い出しませんか?)

ネットの利用時間が増えることで増大する不安については、データデトックスを普及させることが有効ですが、それにしても、メディアとしての問題から一歩(や、もっと?)外に出て、悪者探しに怒り嫌悪を抱くというような時代の精神性を見つめていかなければいけないのかもしれません。

自粛ポリス考(その2)は、自粛ポリスについてアメリカの自警団、アプリによる政治キャンペーンについて参考に考えてみたいと思います。

2020年5月13日水曜日

ななめ読み:スペイン風邪ですべてが変わったアメリカ映画業界

Historian William Mann On How The 1918 Spanish Flu Changed Hollywood Forever & How COVID-19 Might Too

The year was 1918. As World War I was ending, the Spanish Flu began ravaging the world. Within a year, it killed 675,000 Americans and 50 million worldwide - 10 million more than those who perished in the war. There are several parallels between the response to the Spanish Flu and COVID-19 in the U.S.

 こちらの記事が興味深かったので簡単に紹介します。

ハリウッドの歴史小説家William J. Mannが、かつてスペイン風邪の流行った1918年~のアメリカ映画産業の変貌について語ったインタビュー記事。今あるハリウッド式の映画産業の仕組みができたのがちょうどこのパンデミック以降からだということです。スペイン風邪の流行で、映画館も休業要請に見舞われ、それまで多数を占めていた夫婦でやってるような独立系、自営業の映画館が経済的に持ちこたえることができず、閉館を余儀なくされるていきました。そこに追い打ちをかけてたたき買いしていったのが今のパラマウント映画の祖であるアドルフ・ズーカー。予てから、制作、配給、上映の映画に係るすべての側面を効率よくコントロールしたい、と考えていたズーカーは、パンデミックを商機として、つぶれそうな映画館を安く買収(このとき、この値段で応じなければどっちにしろうちが向かいにでかい映画館を作ってお宅はつぶれることになる、というような交渉にでたとしています。なんだか不動産のFlipperみたい)し、今の映画スタジオの仕組みの原点となります。

こうして配給や上映の手綱を握るようになっていくと、今度は映画産業に従事しこれまで生業として意思決定の立場にあり自己完結できていた有色人種や女性の働く場所を結果的に奪っていきます。近年のオスカー授賞式では、#OscarsSoWhiteとかMeTooといった追いやられた人たちの抗議が目立つようになってきていますが、その抗わねばならないような起点がスペイン風邪の流行った時代に作られた流れだと思うと、歴史を見つめ直す価値は本当に大きいなと思います。それから、当時ハリウッドスターがスペイン風邪に倒れた原因として、マスク着用の要請に対し、男らしさが半減する、とマスクを拒否した俳優が多かったことも挙げられています。マスキュリニティ、オーナーシップ、などなどメディア研究のツボをある意味で全押ししているような、重要ポイントが詰まった出来事だなぁ。

この記事ではCOVID19との対比をしながら読むのでより一層読みごたえがあるもの。ズーカーのやった垂直統合やビジネスモデルは現代のNETFLIXにも引き継がれています。

スペイン風邪で映画館が休業したりソーシャルディスタンスを保ったり、協会側が知事に陳情したり…。かたや知事は誤って一度収束したものと誤解し、緩和したところ、第二波、第三波の被害がでるといった年表が記事の下にきれいにまとまっています。上述のツボ以外の点でも、興味深い記事でした。

2020年2月28日金曜日

シニア向けフェイクニュース対策ワークショップ

プリンストン大学とNY大学ソーシャルメディア政治参加ラボの共同研究によると、2016年のアメリカ大統領選挙期間中にフェイクニュースをシェアしたのは、アメリカ国民のうちわずか9パーセントにとどまるという論文が発表されました。この論文の注目すべき点は、世代によってフェイクニュースを拡散しやすい傾向があることを次のように示しているところです。

「18歳から29歳のユーザでは3パーセントがフェイクニュースサイトから記事の拡散を行った。その一方で、65歳以上では11パーセントとなった」

Fake News Shared by Very Few, But Those Over 65 More Likely to Pass on Such Stories, New Study Finds

To identify "fake news" sources, the researchers relied on a list of domains assembled by Craig Silverman of BuzzFeed News, the primary journalist covering the phenomenon in 2016. They classified as fake news any stories coming from such sites. They supplemented this list with other peer-reviewed sources to generate a list of fake news stories specifically debunked by fact-checking organizations.
 ということは、シニア向けのリテラシー対策をすることが重要ではないか、ということでテクノロジー企業の支援を受けシニア世帯向けのIT推進を行うNPOシニアプラネットがワークショップ「フェイクニュースの見つけ方」を開催したそうです。

※このシニアプラネットというNPOですが、なかなか立派で、テクノロジーレビューではシニア向けのコワーキングスペース(セミナーや支援もあり)が取り上げられています。

With An Election On The Horizon, Older Adults Get Help Spotting Fake News

At the Schweinhaut Senior Center in suburban Maryland, about a dozen seniors gather around iPads and laptops, investigating a suspicious meme of House Speaker Nancy Pelosi. Plastered over her image, in big, white block letters, a caption reads: "California will receive 13 extra seats in Congress by including 10 million illegal aliens in the 2020 U.S.
シニア世代がフェイクニュースに弱い背景には「確証バイアス」があるからだとの考察もあります。 過去の経験からそうだと思ったことを強化する情報があればそれを肯定するようにして信じてしまう傾向は年齢とともに強まるのも無理はないでしょう。そしてもう一つには、独りで過ごす時間が長いため、スクリーンに向かってシェアしてしまう、というようなこと。

日本ではもっとニーズがありそうですね。