2020年5月18日月曜日

自警団とアプリ(自粛ポリス考 その2)

自粛ポリス考その1では、パンデミックによる不安・ストレスと、インターネット利用時間が増えデータ(ニュースやSNSでの情報)との付き合いが多くなっていく中、Web2.0以前から指摘されてきたヘイトやデマの問題に加え、より効率的に最適化された近年のアルゴリズム等によって拍車がかかっていくこと、その背景にる広告ビジネスモデルについて目を向けてみました。

考えてみるとインターネット以前においても、デマとヘイト・人種差別と私刑行為はいつもタッグを組んで厭うべき対象を共有し、排斥行為を繰り返してきました。私刑行為の正当化はほとんどの場合、不安の中、デマや誤情報が拡散されヘイトの対象となるグループにより命の危険にされるとして自身や家族(特に女性や子供)を守るためとして自警団を組織していきます。

銃の所有が容認されている米国ではボランティアでパトロールを行う自警団員が、丸腰の少年を結果的に銃殺してしまったケースがありその背景として世間からは人種差別が指摘されました。さらに古くは検証済みでないデマが発端となり自警団の行動が大量虐殺を引き起こした100年前のケースなど、挙げればきりがありません。ヘイトの被害にあうのは、特定のグループに属する人種に限定されず、実際にはその特定グループ以外の人々も被害が及びます。

'Watchmen' revived it. But the history of the 1921 Tulsa race massacre was nearly lost

The explosive opening in the first episode of HBO's "Watchmen," with citizens of a black Tulsa, Okla., neighborhood being gunned down by white vigilantes, black businesses deliberately burned and even aerial attacks, has brought new attention to the nearly buried history of what the Oklahoma Historical Society calls "the single worst incident of racial violence in American history."

日本においても不安やストレスが強い環境において特定のグループへのヘイトが高まり、ヘイトの対象と同一視され殺害されてしまった歴史もあります。自粛ポリスをインターネットのせいだ、として悪者扱いしても(というかインターネットを相手にしても・・・)何の糸口にもなりません。自粛ポリス考その1で書いたように、サイバースペースの問題と物理世界の問題をそれぞれ別の問題として断絶させてしまう事態が続かないよう包括的なアプローチが必要です。

パンデミックにおけるテクノロジーへのまなざしも分断しています。情報の加工や収集、拡散が容易になったことでインフォデミックが起こり、その原因として予てから指摘されてきたリテラシー教育の不十分さや、プラットフォームの推薦アルゴリズムどを問題視する声も生まれます。一方で、感染拡大の防止にテクノロジーが打開策を提供してくれるだろうとして、データの集積やGPS等に希望を見出すものもいます。

人間の尊い命を奪うウイルスによる未曽有の事態においてテクノロジーとどう向き合い、取り組むべきなのか。このブログでも過去に何度か参照し、テクノロジーの解決主義(Solutionism)批判で知られるEvegeny Morozoffは、今般もガーディアン紙に「パンデミックを”IT政策”で乗り切るのは大間違い」と寄せています。相手が未知のウイルスであっても、教訓となる事柄は充分にあると考えます。同様に過去に参照したユヴァル・ノア・ハラリは「パンデミックよりも恐ろしいのは人間のヘイト、欲、無知」だとし、さらに個人データ収集については「市民への監視が進むのであれば、政府への監視も併せて強めなければならない」と話しています。


私が思い出したのは、過去に国内で議論を巻き起こしたテクノロジーによる浅はかな解決主義に対する批判です。日本のGoogleによるインパクトチャレンジという社会課題解決にICTを使うビジネスコンテストで、あるNPOが起案した「GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」が、ホームレスの当事者支援団体などにより批判を浴びました。突っ込みどころが多すぎるから詳しくは書きませんが、先に触れたパトロールや不安と差別、ヘイトなど様々な問題を含有します。善意が、意図せずこういう方向に向かってしまうのは残念と思うとともに、では何を理解しておくべきだったのか、というと大学の講義で体系だって教わることでもないのかもしれないので、想像しようもなかったのかもと思うと、どのような手立てでこうしたことが防げるのかな、というのが私にとってテーマでもあります。

NPO法人Homedoor「CRIMELESS(GPSによる治安維持とホームレス雇用の両立)事業」への批判

Googleインパクトチャレンジ受賞『CRIMELESS(GPS による治安維持とホームレス雇用の両立)』の問題点 参考:「日本におけるGoogleインパクトチャレンジ」のグランプリを受賞した事業「CRIMELESS」についての意見書 http://lluvia.tea-nifty.com/homelesssogosodan/2015/03/googlecrimeless.html

テクノロジーをどう利用するのか、政治とデータの関係は一層密を極めています。個人がデータの行きつく先について理解せずともテクノロジーの利用は増える一方です。最近ではトランプ陣営が新たなアプリをリリースし話題になっています。これに対し、シンクタンクのTactical Technology Collectiveは、「キャンペーンアプリは同じ考えを持つユーザを集めるので、思想的多様性が避けられてしまい一層フィルターバブルやコンファメーションバイアスを強化するリスクがある.  」と警鐘を鳴らしています。

また最近になって、トランプ陣営が勝利したのは単に他の候補者よりもFacebookに莫大な広告費をかけ、Facebook広告が算出した最適化された広告を活用したことが勝因になったのでは(つまりキャンペーンマネージャーという人間による戦略的に案を練って低コストで最適な効果を得る広告を作るという意思決定ではなく、Facebook広告に内在する計算機が導いた)との分析も改めて注目されています。そして政治的キャンペーン、選挙活動としてトランプ陣営はパンデミックを利用し、憎悪を増幅させるキャンペーンを展開しています。
画像:https://www.anotheracronym.orgによる選挙広告に関する分析記事


 問題は、こうした憎悪は特定のグループに作用するだけでなく、ひいてはそれ以外の人々にも被害をもたらします。パンデミックをもたらしたウイルスを裁いたりリンチしたりできないフラストレーションが、さらなる憎悪や分断を生むなか、過去の教訓に学びながらテクノロジーへのバランスの取れた視座を得ようと試みることが必要なのではないでしょうか。

2020年5月14日木曜日

パンデミック、インフォデミック(自粛ポリス考その1)

緊急事態宣言で外出自粛が続く中、日本では「自粛ポリス」が問題になっています。今回は、自粛ポリス考(その1)として、その背景にある個人情報晒し(Doxxing)やヘイト、誤情報の関係について考えてみたいと思います。

他県ナンバー狩り、ネットで中傷...暴走する"自粛ポリス" | 2ページ目

「自粛警察」の事例 「自粛」とどう向き合うか 感染不安...他人にぶつけてカタルシス  休業要請の有無にかかわらず営業する店舗を非難したり、外出する人々をインターネット上で"告発"したり-。会員制 交流サイト (SNS)で「自粛警察(ポリス)」と呼ばれる動きによって、人権侵害につながるケースも生じている。 ...
自粛ポリスとは、外出や営業をする他者の行動に対してネット上で非難し個人攻撃することによって取り締まろうとする私刑行為と捉えればよいでしょう。今般のパンデミック以前からネット上で気にくわない他者に対して個人情報を晒すなどの嫌がらせをすることで自分の思う正義を果たそうとしてしまうネット私刑が定期的に表面化し問題となってきました。

加速するネットリンチの残酷、住所など個人情報晒しは法律的に「アウト」

10月に発覚した神戸市の教員間いじめ・暴行事件。加害者とされる教員たちの実名はもちろん、住所や家族の名前、職業などがネットで晒されている。個人情報を安易にネット上に書き込んでしまうネットユーザーたちが増えているからだ。しかし、こうした行動の多くは、法律的には「アウト」である。(フリージャーナリスト 秋山謙一郎) ...
こうしたネット私刑の問題は今に始まったことでもなければ、日本人特有の問題ではありません。ネットでの個人情報を晒す行為は、英語で"dox"と呼ばれています。情報を専門的に扱うプロフェッショナルである記者を囲うニューヨークタイムズは、情報セキュリティ研修の一環としてdoxxingの慣行から記者を守る方法を教え、その教材を公開しています。

How to Dox Yourself on the Internet

By Kristen Kozinski and Neena Kapur No one wants their home address on the internet. That is personal information we typically only give out to friends, family and maybe our favorite online stores. Yet, for many of us, that information is available and accessible to anyone with an internet connection.
ネット中傷の歴史を遡れば、1999年のスマイリーキクチ中傷被害事件も有名です。これには、ネットでの個人への行き過ぎた中傷とデマが横行することで相乗的に悪い影響をもたらした事例ですが、近年はSNSの特定のユーザにはより好ましい情報だけを提供するようなアルゴリズムなどがより効果的に作用しフィルターバブルを作ることでサイバーカスケードが一層起こりやすくなり、フェイクニュース問題が生まれ、世界的にデマや意見の先鋭化の温床となっています。

COVID19のパンデミックに際しては、感染症に加えて誤情報が蔓延する危機的な事態「インフォデミック」への懸念から、誤情報への対策が声高に叫ばれてきましたが、誤情報対策だけではなく「ヘイト」対策の視点が重要だと私は思います。

今のような形のSNSが一般化する以前、ヘイトの拡散に影響力を持つ主体はマスメディアで、日本は国連自主差別撤廃委員会から2010年の勧告(日本語PDF)で次のような指摘を受けていました。

26.人権相談窓ロの設置や人権教育や促進など締約国によってとられた人種的偏見をなくすための措置に留意しながら、委員会はメディアに関して、そしてテレビやラジオ番組への人権の取リ込みに関して具体的な情報が欠如していることに懸念をもち続ける(第7条)。 委員会は締約国が、人種差別撤廃を目的として、寛容および尊重の教育目的を取り入れながら、日本国籍者および非日本国籍者双方の社会的に弱い立場にある集団に関する問題が、適切にメディアで表現されることを保障する公教育および啓発キャンペーンを強化するよう勧告する。委員会はまた、締約国が、人権教育の向上におけるメディアの役割に特に注意を払い、メディアや報道における人種差別につながる人種的偏見に対する措置を強化することを勧告する。加えて、ジヤーナリストやメディア部門で働く人びとに人種差別に関する意識を向上させるための教育および研修を勧告する。
またインターネット上のヘイトに関連する事項では
13.締約国が提供した説明に留意しつつも、委員会は条約第4条(a)(b)の留保を懸念する。委員会はまた、韓国・朝鮮学校に通う子どもたちなどの集団に向けられる露骨で粗野な発言と行動の相次ぐ事件と、特に部落民に向けられたインターネット上の有害で人種差別的な表現と攻撃に懸念をもって留意する。
この勧告と事態の発展からその後2014年以降の日本のヘイトスピーチ規制への流れへ向かっていきます。この時点ではヘイトスピーチ規制はあくまでエスニックマイノリティなど特定の集団を攻撃から保護・救済するというような受け取られ方が中心的だったように思いますが、もっと本質的な懸念は、この特定の集団というのがいつ自分の所属する集団と同義になるやもしれない、という点です。定義としてヘイトスピーチやヘイトクライムは弱い立場にある特定集団に限定されていますが、ヘイト行そのものが拡散する原理は、ヘイトの対象に限らず同じ環境にあります。かつてインターネット上の問題はインターネット上の問題(としてとどまる)、と捉えられていた時期がありましたが、Web2.0以降から徐々にシフトし、それは現実社会にも害をもたらすので合算して取り組まなければいけない(つまりインターネットの安心安全を扱うものと、例えば実際の人権問題を扱うもの、とが合同で取り組まなければならない課題)という課題意識が共有されてきています。それでも、取り組む当局および市民社会の体制としてはその二者がいまだ断絶しているケースも少なくないように感じられます。

前置きが恐ろしく長くなりましたが、今回の自粛ポリス、というのもデマとヘイトが手を結んで大きな力をネットから飛び出して現実社会へ影響をもたらしてきている延長です。かつてメディアではヘイトの拡散の防止の措置として、記者やメディアで働く人々への教育や研修が有効な手段として提言されていたという過去を振り返ることができます。このことは、誰でも情報発信できるようになった今、ネットメディアやユーザへの教育に期待されるものと捉えられます。

さらにメディア批評の過去を振り返ると、専門集団であってもマスコミが誤報や中傷を拡散してしまった経緯としてそのビジネスモデルや構造が指摘されていました。商業メディアにとってはセンセーショナルであればウケる、感情的で扇動的であれば部数が伸びる、視聴率を武器に広告収入を得る、スクープをとれば賞をもらえたり昇進できる、というような点です。こうした構造的な問題は、広義での広告収入で成り立つネットメディアも引き継いでいます。ではこれについてどうすればいいのか。

センセーショナルであることで知られるイギリスのタブロイド紙が流布するヘイトに対抗しようと2016年に始まったキャンペーンの母体となるStop Funding Hateは、デジタル広告を出稿する企業が道徳的に広告出稿先を選ぶべき、と取り組んでいます。具体的には、タブロイド紙のヘイト記事のモニタリングや、ヘイトを増幅させるような見出し(いわゆるクリックベイト clickbait)をつける媒体へ広告を出す企業への抗議や不買運動のような取組です。下記のリンクでは、今回のパンデミックにおいてもタブロイド紙が、移民や特定の宗教を信じる人々に対して誤った情報からセンセーショナルな記事を誤報発覚後も掲載し続け広告収入を得てていることや、恐怖や不安に取り組んで陰謀論を展開するYoutube動画が広告収入を得ていることなどを指摘しています。この取組の興味深い点は、一般に誤情報やヘイトの拡散の問題についてはSNSなどのプラットフォームが原因として注視されがちであるのに対し、Stop Funding Hateは、原因追及の矛先をプラットフォームではなく広告(または広告主)に向けているという点です。そして、ユーザが自分の好きな企業の広告が危うい誤情報記事に掲載されていたのなら、広告主に知らせてあげましょう、と呼び掛けています。

The drive for clicks: The coronavirus, misinformation and digital advertising

Online media and digital advertising go hand in hand. Media companies need advertising to make money, so they write articles that get as many clicks as possible. This often means sensationalism, the use of fear and, sometimes, using hate. And sadly, this doesn't change in times of a global pandemic.

ただネット広告の仕組みは多くの場合、技術的に非常に複雑・高度で、具体的にどのようなコンテンツに広告が掲載されるか広告主には自明ではありません(たとえばRTB)。だから、Stop Funding Hateがいくら広告主に知らせたところで「広告主が目視で選別したわけじゃない、そういうアドテクだから仕方がない」と言われればそこまでのような気もします。おそらく媒体のモニタリング活動と併せて行うことで、特定のタブロイド紙には広告出すな、とし、こうした意識を広めることで、媒体そのものが利益のためにはヘイトや偏見を流布しないほうがよい(そうしないと広告が入らない)、と判断してくれる旗振りしていくことは(頑張れば)できるでしょうが、アドネットワークの仕組みを考えるとずいぶん限定的な効果しかもたらさないような気もします。(というかユーザ側もそういうネット広告はスキップ、スクロールしちゃうからなんの広告が出てたか記憶さえしてなよね?!レイバンくらい!?あとコメントボックスとかでヘイトが展開されたらそれも?)

余談ですが広告の話になってきて、なんだかぶり返すものがありますよね。―漫画村です。

「望んで広告を出しているものではない」 海賊サイト広告問題、出稿していた大手企業の言い分は

海賊版サイトの主な資金源となっていた「広告主」が問題になっている件で、ねとらぼ編集部は海賊版動画サイト「MioMio」に広告を表示していた企業に取材しました。なお取材との関連性は不明ですが、編集部が取材した翌日、当該部分の広告枠が削除されたのを確認しています(また時を同じくして、動画の再生ページ自体も削除され、現在は動画が見られない状態となってます)。 ...

誤情報の拡散を断ち切るには、なんらかの法律でもって当局による規制をするか、業界団体などによる自主規定(そういえばその後どうなったのかな)、媒体やプラットフォーム企業が自らを律する、もしくは一般ユーザの教育啓蒙などが常套手段のようですが、今回パンデミックに際しては、ネットの問題と実際社会で起きていることをあわせて考える必要があることをより一層明らかにしているように思います。

自粛ポリスのような過剰な個人攻撃が増えたり、炎上案件がでてきたりするのには、パンデミックの影響で人との接点が減り、ネットを利用する機会や時間が急激に増え、パンデミックの不安やストレスを抱え、やり場のない気持ちを、ネットで得た正しくない情報やな知識を根拠に、自分より非難されるのが妥当であると考える相手に向けてしまっていることがあります。逆に言えば、パンデミック以前にヘイトクライムやネットの言説を真に受けて犯罪手前に向かってしまった人たちは、そういう環境にあった。たとえ、規制をしていってクリーンなインターネットを一時的につくったとしても、現実世界に救いがなく荒れたままなら、いたちごっこのような気がします。(なんだかヒップホップVSアメリカ論争を思い出しませんか?)

ネットの利用時間が増えることで増大する不安については、データデトックスを普及させることが有効ですが、それにしても、メディアとしての問題から一歩(や、もっと?)外に出て、悪者探しに怒り嫌悪を抱くというような時代の精神性を見つめていかなければいけないのかもしれません。

自粛ポリス考(その2)は、自粛ポリスについてアメリカの自警団、アプリによる政治キャンペーンについて参考に考えてみたいと思います。

2020年5月13日水曜日

ななめ読み:スペイン風邪ですべてが変わったアメリカ映画業界

Historian William Mann On How The 1918 Spanish Flu Changed Hollywood Forever & How COVID-19 Might Too

The year was 1918. As World War I was ending, the Spanish Flu began ravaging the world. Within a year, it killed 675,000 Americans and 50 million worldwide - 10 million more than those who perished in the war. There are several parallels between the response to the Spanish Flu and COVID-19 in the U.S.

 こちらの記事が興味深かったので簡単に紹介します。

ハリウッドの歴史小説家William J. Mannが、かつてスペイン風邪の流行った1918年~のアメリカ映画産業の変貌について語ったインタビュー記事。今あるハリウッド式の映画産業の仕組みができたのがちょうどこのパンデミック以降からだということです。スペイン風邪の流行で、映画館も休業要請に見舞われ、それまで多数を占めていた夫婦でやってるような独立系、自営業の映画館が経済的に持ちこたえることができず、閉館を余儀なくされるていきました。そこに追い打ちをかけてたたき買いしていったのが今のパラマウント映画の祖であるアドルフ・ズーカー。予てから、制作、配給、上映の映画に係るすべての側面を効率よくコントロールしたい、と考えていたズーカーは、パンデミックを商機として、つぶれそうな映画館を安く買収(このとき、この値段で応じなければどっちにしろうちが向かいにでかい映画館を作ってお宅はつぶれることになる、というような交渉にでたとしています。なんだか不動産のFlipperみたい)し、今の映画スタジオの仕組みの原点となります。

こうして配給や上映の手綱を握るようになっていくと、今度は映画産業に従事しこれまで生業として意思決定の立場にあり自己完結できていた有色人種や女性の働く場所を結果的に奪っていきます。近年のオスカー授賞式では、#OscarsSoWhiteとかMeTooといった追いやられた人たちの抗議が目立つようになってきていますが、その抗わねばならないような起点がスペイン風邪の流行った時代に作られた流れだと思うと、歴史を見つめ直す価値は本当に大きいなと思います。それから、当時ハリウッドスターがスペイン風邪に倒れた原因として、マスク着用の要請に対し、男らしさが半減する、とマスクを拒否した俳優が多かったことも挙げられています。マスキュリニティ、オーナーシップ、などなどメディア研究のツボをある意味で全押ししているような、重要ポイントが詰まった出来事だなぁ。

この記事ではCOVID19との対比をしながら読むのでより一層読みごたえがあるもの。ズーカーのやった垂直統合やビジネスモデルは現代のNETFLIXにも引き継がれています。

スペイン風邪で映画館が休業したりソーシャルディスタンスを保ったり、協会側が知事に陳情したり…。かたや知事は誤って一度収束したものと誤解し、緩和したところ、第二波、第三波の被害がでるといった年表が記事の下にきれいにまとまっています。上述のツボ以外の点でも、興味深い記事でした。

2020年2月28日金曜日

シニア向けフェイクニュース対策ワークショップ

プリンストン大学とNY大学ソーシャルメディア政治参加ラボの共同研究によると、2016年のアメリカ大統領選挙期間中にフェイクニュースをシェアしたのは、アメリカ国民のうちわずか9パーセントにとどまるという論文が発表されました。この論文の注目すべき点は、世代によってフェイクニュースを拡散しやすい傾向があることを次のように示しているところです。

「18歳から29歳のユーザでは3パーセントがフェイクニュースサイトから記事の拡散を行った。その一方で、65歳以上では11パーセントとなった」

Fake News Shared by Very Few, But Those Over 65 More Likely to Pass on Such Stories, New Study Finds

To identify "fake news" sources, the researchers relied on a list of domains assembled by Craig Silverman of BuzzFeed News, the primary journalist covering the phenomenon in 2016. They classified as fake news any stories coming from such sites. They supplemented this list with other peer-reviewed sources to generate a list of fake news stories specifically debunked by fact-checking organizations.
 ということは、シニア向けのリテラシー対策をすることが重要ではないか、ということでテクノロジー企業の支援を受けシニア世帯向けのIT推進を行うNPOシニアプラネットがワークショップ「フェイクニュースの見つけ方」を開催したそうです。

※このシニアプラネットというNPOですが、なかなか立派で、テクノロジーレビューではシニア向けのコワーキングスペース(セミナーや支援もあり)が取り上げられています。

With An Election On The Horizon, Older Adults Get Help Spotting Fake News

At the Schweinhaut Senior Center in suburban Maryland, about a dozen seniors gather around iPads and laptops, investigating a suspicious meme of House Speaker Nancy Pelosi. Plastered over her image, in big, white block letters, a caption reads: "California will receive 13 extra seats in Congress by including 10 million illegal aliens in the 2020 U.S.
シニア世代がフェイクニュースに弱い背景には「確証バイアス」があるからだとの考察もあります。 過去の経験からそうだと思ったことを強化する情報があればそれを肯定するようにして信じてしまう傾向は年齢とともに強まるのも無理はないでしょう。そしてもう一つには、独りで過ごす時間が長いため、スクリーンに向かってシェアしてしまう、というようなこと。

日本ではもっとニーズがありそうですね。

2020年1月30日木曜日

新型コロナウイルスと誤情報の拡散

香港大学のジャーナリズム・メディアスタディーズ研究所がアジアニュース情報教育者ネットワークと協働で立ち上げたファクトチェックのためのプロジェクトで、新型コロナウイルスに関する誤情報をとりまとめてくれています。

香港大学が、2月17日まで開講延期となっていることを受けて、手軽にニュース等をキュレーションすることができるFlipboardというアプリを使って、新型コロナウイルスについての検証記事を集積したもので、英語に限らず、フランス語や日本語の検証記事も寄せられております。

現在のコロナウイルスに関するネット上の言論は、誤情報の温床となる要因が整っています。まず、ウイルスが新型でありわかっていないことが多く、情報が欠如していることです。これは、マイケル・ゴールビーウースキーとダナ・ボイドらマイクロソフトの研究者が、誤情報の原因環境を分析したペーパーで2018年に「Data void」(データが空である状態) と名付けています。

Data Voids

Michael Golebiewski of Microsoft coined the term "data void" in May 2018 to describe search engine queries that turn up little to no results, especially when the query is rather obscure, or not searched often.
実際にvoid状態にあったかどうか、検索トレンドを確認してみましょう。2020年1月の途中から急遽検索ワードとして上昇したのであって、新型ウイルスであることからすれば当然ですが、それまでは検索されておらず、それらのニーズを満たす検索結果も欠如していたことがわかります。

二つ目の要因として、異文化・多言語などの国際的な要因です。ウイルスは国境を越えて影響をもたらします。初期の発症は中国であり、中国語の一次情報を得て読解することが難しいという環境にあります。その後はWHOの公式見解などが英語で発表され、フランスやオーストラリアなど各国の対応策についても報道されるところとなります。いずれも国境・言語・文化を越えた解釈が必要です。武漢がシャットダウンされるとより、現地の情報を収集しづらくなってしまし、その一方でSNSでは現地人と自称する出所のわからない動画などが拡散されています。よく誤情報の温床となる事件速報に対する消費者向けガイドとしてWNYCがまとめた速報ニュースを見るときの9つの心得には、「事件と距離の近い地元メディアの報道に着目しよう」「複数の情報源を比較しよう」「最初は報道機関も間違えるということを意識しよう」などと書かれています。

しかし武漢が地元だという人以外にとって、現地メディアの情報を取得するのはハードルが高すぎますし、中国の報道の自由を考えると地元メディアや現地語ニュースさえも信頼しにくい状況にあり、ますますVoid状態を加速させます。AtlanticのHow to Misinform Yourself About the Coronavirus「コロナウイルスについて誤情報を受け取る方法」という逆説的な記事では、アメリカ英語圏において拡散された誤情報についてその背景として「ほとんどのアメリカ人は中国語を理解しない」「WeiboやWeChatを利用していない」ことから、WeiboやWechatを使って情報収集し英語でツイッターに投稿するだけで、塵が金の価値になるというメディア環境についても触れています。さらに米中二国間の政治経済的な競争も忘れてはならない要因の一つです。

記事では、公衆衛生学の研究者で博士号を持つユーザーがツイッターに投稿したSARSよりも危険だと主張する論文を読んだリアクションコメントが大いに注目されてしまい、のちにその論文に査読がなかったことや、配慮すべき数値や環境が不十分であることを指摘されツイートを削除しているのですが、誤解を招く投稿のほうが、指摘の事実を述べるほかのユーザの投稿より圧倒的に拡散されてしまっていることも罹れています。

ほかに、Buzzfeedでも指摘されていますが、身元不明のツイッターアカウント(Youtuberらしいが偽名)が、ひたすらコロナウイルスに関する動画をあちこちからリップして再投稿し、多くの人たちが情報源として誤って信頼してしまっています。

近年、誤情報の拡散に歯止めをかけようと伝統的な報道機関だけでなく、ネットニュース企業、プラットフォームも様々な対策を取り組んでくれています。例えばAFPは、コロナウイルスの誤情報の問題についてまとめた記事を公開しています。(正直、書き方はイマイチだと思う)。Buzzfeedは、ネットの誤報、誤情報と戦い続けてもう15年以上の経歴を持つ、打倒・誤情報のゴッドファーザーとも言えるRegret the Error創始者のCraig Silvermanが率いていることもあり、戦略的にも、いわゆる”Debunk”記事に力をいれています。

Youtube/Googleは、フェイクニュースや陰謀論対策として、2018年に「authoritative contents」の導入を発表して、信頼できる報道機関による情報を検索結果に対して優位に位置づける仕組みを始めましたが、今回も新型コロナウイルスについてより権威付けされた情報が結果に反映されるよう動いているようです。

Facebook, Google and Twitter scramble to stop misinformation about coronavirus

The rapid spread of the coronavirus in China and around the world has sent Facebook, Google and Twitter scrambling to prevent a different sort of malady - a surge of half-truths and outright falsehoods about the deadly outbreak.
2018年当時このauthoritative contentsの発表を聞いたときは、対策措置として動いてくれたことに安堵する一方、インターネットが目指したメディアって何だったんだろう…というちょっとした心の穴ができました。だって、その語彙といい、なんかもうthe end of the internet as we know it ネットのおしまい感が半端なくって、どう受け止めたらよいやら、という感じでしたし、今も受け止め方がわかりません(苦笑)。ちなみにAuthoritative Cotentsの仕組みは、例えば陰謀論者がよく「人類の月面着陸は嘘だった」と主張しますが、「月面着陸」と検索したときに、ブリタニカ国際大百科事典の説明を表示させ、さらに検索結果の動画のうち、信頼できる報道機関のアカウント(USA TODAYやNASAなど)の動画を上位にする、というものです。いや~陰謀論者は「Googleも一緒に隠ぺいしている!」と逆に燃えそうですが…。新型コロナウイルスはまだ百科事典にも載ってないでしょうし、英語と中国語で全く別のプラットフォームを使う別の言論空間でどのくらい効果が発揮できるものかなぁ、と💦

YouTube has a plan to boost "authoritative" news sources and give grants to news video operations (2018)

Google-owned YouTube on Tuesday announced a few improvements it intends to make to the news discovery and viewing experience. The platform has had a bit of a bad run recently: surfacing videos that accuse mass-shooting survivors of being crisis actors, hosting disturbing videos targeting children, ...


ファクトチェック記事も様々です。(例えば、INSIDERの記事は、アドブロックなしにはとても読めないぐらい広告が貼られています・・・)誤情報は悪、ファクトチェックは善と完全に決めつけずに、それぞれの媒体の特徴を配慮しながら読解するのがいい訓練になるように思います。(場合によっては書き方が不適切なファクトチェック記事は、かえって誤情報を拡散するとも言われています)

そして、生真面目に情報の真偽を確かめたいという場合、実際にどんなプロセスを踏めばいいのか、FirstDraftのチェックリストを見ておきましょう。(日本語字幕)

2020年1月28日火曜日

科学的クライシスで命が大事

新型コロナウイルスについて、報道が過熱しています。ウイルスの感染を防ぎ衛生に勤めるよう注意するのは結構なことですが、日本語圏のネット上では、病原への理解を深めないまま、恐怖を煽るようなコメントや移動の自由を制限する感情的なコメントが良く拡散されています。実際に中国当局は渡航禁止や移動の制限などに乗り出し、カレンダー通りであれば旧正月のにぎやかなひと時のはずが、帰省を取りやめたり、外出を控える人たちが少なくないようで人々も真剣に対応しているようです。一方中国語のネットメディア、いわゆる朋友圏においても、やはり同様に自体の深刻さや恐怖について記述した投稿が目につきます。

日本語圏で目についたのが、人命が大事なのだから、中国人の入国を禁止しろ、というツイート。主義主張についてはどうこう言うつもりありません。いくつか載せてみます。



新型ということで感染経路にしても、海のものとも山のものともわからないようなところはあるのかもしれません。危機管理という点では、渡航禁止等も一手ととらえるのも当局次第です。ただ、そこに急遽「命」という話が出てくるのに違和感を覚えると同時に、なんだか見覚えのある構造の文章だなぁと思いました。

今すぐ   禁止しろ!最優先だ!

なにか見覚えのある言い回し。東日本大震災後の放射能汚染と原発についてのつぶやきのことを思い出しました。 例えばこんなもの。

後者のほうが少々語気が穏やかではありますが。。
ちなみに前者のコロナウイルスに関してのツイートで命が大事といった人たちは、日の丸アイコン。後者の再稼働反対のツイートはネットでは、安倍政権に反対することからサヨクと言われることが多いようです。それぞれ全く別の政治的属性に区分けされますが、「命が大事」というところから演繹的に政治的なアクション(入国禁止や廃炉)を訴求しようと強く訴えたい。それぞれの主義や主張についていいとか悪いとかいうことではなく、なんというか科学的なクライシス(未解明の新ウイルス発症、原子力事故)が起こると、それに対して、何かを禁止すると命が守られる、もしくは何かを禁止しないので命が政治のせいで危険にさらされている、と解釈されることがあるのだなぁ、と思いました。

なんか似てたんで、並べたかったそれだけです。

2019年5月23日木曜日

Future of Foodを聞いて(メモ)

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Christopher LydonのOpen Source Radioが感謝祭のシーズンに合わせて食べ物をテーマにホリデー気分漂う素敵な番組を放送しました。

こちらから視聴できます>

私の所属先でも農業とITに関わる非常に面白いプログラムがあり,また数年前にSoul Food Junkiesというドキュメンタリーを日本で初公開するイベントを企画したこともあり、食いしん坊として「食」はいつも興味のある題材です。

番組ではMITメディアラボでFood Computerや「OpenAG」のプロジェクトを研究開発をしているCaleb Harperさん(彼の取り組みはこのTEDビデオがわかりやすい)やトランス脂肪酸の危険性について長年取り組み、ついに来年からの禁止に貢献したWalter Willett博士、「七つの格安品がつくる世界史」(A History of the World in Seven Cheap Things)の著者Raj Patelさん(著書はこちらから独立系書店経由で買うか、やむを得ずアマゾンから買うならアフィリエイトフィーを著者がLa Via Campesinaに寄付するという徹底ぶりにも圧巻)に加え、カリフォルニアのいちごを移民労働と農薬の賜物としてみつめ研究するJulie Guthmanさん、フレンチのシェフJacques Pépinさんをゲストに迎えラウンドテーブル形式で未来の食について話し合っています。

聞いていて、アメリカのアグリカルチャーは日本でイメージする田畑とは大きく違うなと改めて思いました。たとえばアメリカのいちごの生産のほとんど(Julie Guthmanさんによると88%)を占めるのはカリフォルニア産ですがカリフォルニアのいちごは味よりも耐久性や収穫高、収穫期が長いことが優先されて品種が改良されているため日本でイメージするような甘くて少し高価な旬の果物という意識は無いとわかり驚きました。またカリフォニアのイチゴは移民労働と農薬が象徴されたものであるとJulieさんは捉えています。国境を命がけで越えてきた移民たちは劣悪な労働環境下で低賃金だろうが性的暴行があろうが無防備で農薬に接しても文句をいうことができない。またイチゴを育てるのに大量の農薬が必要である。こういうストーリーが裏にあります。

またトウモロコシについてもアメリカの農業と日本のそれとは大違いです。ほとんどがエタノールとして燃料用になるか畜産飼料となり、15%はコーンシロップなどの添加物になり実際に食品としてそのまま食べられるのは10%程度だそうです。(このあたりの問題についてはいいドキュメンタリー作品が複数ありますね)私はこの夏大きな衝撃を受けたのですが,森町というところでは非常に糖度の高いカンカンムスメというトウモロコシが有名で,夏の収穫期になると獲れたてのトウモロコシを入手するためになんとお客さんたくさんやってきて列をなして3時間くらい並ぶんだそうです。今時新作iPhoneの入手にもそんなに並ばないと思うのですが、かなり長閑な田園風景の,どちらかというと人口減少に悩む町だと思うのですがそういうところで獲れる美味しいトウモロコシに人が並ぶんですね。もし私がマイケルムーアだったらアメリカの農業をテーマにした滑稽なドキュメンタリーのワンシーンとして撮影したいものです。さらにいうと私は,早朝から出かけて並ぶのが大変なので適当にその周辺の別の銘柄のトウモロコシを買って食べたのですがどれも十分甘くて美味しかったです。

さて番組に話を戻します。MITメディアラボで OpenAGの取り組みをするケイレブハーパーの視点が非常に面白かったです。食に関する問題というのはいつも分断を生んでしまうからそうではなくて前向きに持続可能性を目指して誰でもできるようにしようという思いが根底にあるようです。遺伝子組み換えで飢餓を救えるという人もいれば、遺伝子組み換えはダメだ、という人もいる。農業は環境汚染を引き起こしてきたという人もいれば、スローでナチュラルな暮らしの根底だという見方もある、というように食に関する議論はいつも分断を生んでいることに彼はうんざりしているようです。彼は遺伝子組み換えについて、遺伝子を編集する行為は今に始まったことではないと留意すべきだとし,問題は一握りの権力者だけがこれまで画一的な変更を加え現在のフードシステムを作ってしまったことであると捉えています。そこで農業における知をオープンソース化し誰でもかかわることができるようなbio-digital conversionによって新しい時代になると信じています。データ解析により、気候等の環境要因から作物の成長を制御する、というような言葉尻。

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このところ、私が最も気になっていて読みたいけど全く読むすべがないのがJacques Attali
による、食べ物の歴史、物語をテーマにした新作エッセーの一冊。ノイズから今度は食、というような感じで、対象としては別なんだけど、描くこと、そこから表そうとしていることというのは引き続きメディア的な諸問題の本質のような気がしているのと、私自身の生活の在り方から、音楽よりたぶん今は食べ物との関わりが密接になって見つめる時間が長くなったというのがあって、そのあたりのうやむやな部分を、自分でも説明したいなあと思っている気持ちがあるのです。
なんか、研究者的な印象を勝手に抱いていたんだけど、フードテクノロジーのVCもやっているアタリ。目立つ、成功する、稼ぐ。そういう軸もあるものですね・・・